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2016年4月26日火曜日

他人の目が気になるあなたへ|受け止めてもらうことで次第に自分を見つめてみようと思えるようになります


宗教家のすがいんです。


他人の目が気になるあなたへ|受け止めてもらうことで次第に自分を見つめてみようと思えるようになります
他人の目が気になって仕方がない。ワタシはどうすればいいんだろう……

他人の目が気になるっていうことがありませんか。そのことについて思うことを書いてみたいと思います。

他人の自分に対する目が自分の中心に

わたしも今でこそ少なくはなりましたが、以前はとてもありました。他人の目を気にする自分、ということです。

他人の目を気にする自分、書いているだけでも少し嫌な気分にもなるのですけれども、これ、やめなさいと言われてもやめれらるというモノでもないなぁと今でも思います。

わたしの場合はどうだったかなぁ、どうして少なくなったかなぁということを思いますと、「 まだまだ未熟なわたしの意見なんて言わないほうがいい…… 」と、自分の考えを押し殺していたように思います。つまり自信がなかったんでしょうね。

自分で自分のことが信じられない。けれども他人もそんなに信じていなかったと思います。自意識も強かったですし。自信もないのに自意識は強くて……「 俺だって本気出せばやれる 」が口癖でもありました。

今思うのは信じ方も知らなかったようにも感じますが。じゃあどうして知るようになったか、やっぱりお取次をいただき教えていただく中でその何とも言えない周りの目が気になる心は次第に落ち着いてまいりました。整っていったという表現が合っているように思います。

どうして?と言われてもコレというものもないのですが。言葉にするなら師に受け止めてもらった経験が大きかったです。神さまにはもちろんそうなのですが、肝心なのは生身の人間に丸ごと受け止めてもらうということだろうと思います。

2016年4月24日日曜日

真のお詫び……二度と繰り返さないということ


宗教家のすがいんです。


真のお詫び……二度と繰り返さないということ
真のお詫び……二度と繰り返さないということ

ある参拝者の話。何かに囚われるということからの『 真のお詫び 』について。

苦しい、助けて~

今朝ほど雨の中、一人の老婦人がお参りされました。

数日前からお届けされていた悩み、とにかく呼吸が苦しい……と。その苦しさも波があって、本人曰く内臓からくるというよりも、精神的なものが原因では?と言われていました。

ひとしきりお話を聞き、わたしはわたしで祈らせていただきました。

途中また波がきて、「 あ~苦しい、苦しい~、助けて~。先生、私はもうこれで終わりなんでしょうか 」「 なんて私はめぐりの深い人間なのでしょうか、お詫びしますから助けてくださいぃ~、神さまぁ~、お助けください、金光さまぁ~ 」と、もうそれはひと目も気にせずに叫んでいました。

お結界でわたしはただただ聴かせていただきながら、それこそ正直な話、いつ救急車を呼ぼうかとも案じていました。しばらくトイレに行かれ全く音がしなくなったときなど……。

同時に祈り続けておりました。「 どんなお詫びかは分かりませんが、この氏子に成り代わってお詫びさせていただきます 」とご神前に額づいてお願いさせていただいておりました。

お願いさせていただいている中、ふと、先日師に教えていただいたことが頭をよぎりました。それは……真のお詫びのこと。

お詫びといっても、心からお詫びしたら、それでいい。真のお詫びは、二度と繰り返さないことしかない。今、今日の段階では、真のお詫びなんてできない。(できるのは)御礼だけ。

師の教え

そして、こうも教えてくださいました。

過去もない。未来もない。あるのは、今だけ。今がすべて。今を喜ぶこと。

師の教え

そしておかげに変えろとまで、強く教えてくださいました。

2016年3月7日月曜日

NHK特集ドラマ「 海底の君へ 」を観て|なにごととも比べずに、人に、神に受け止められることが要る


宗教家のすがいんです。


NHK特集ドラマ「 海底の君へ 」を観て|なにごととも比べずに、人に、神に受け止められることが要る
こちらがそうであるとも そうでないとも 簡単に白黒をつけないこと

2月20日にNHKで放送された特集ドラマ「 海底の君へ 」を観ました。母が録画しておいてくれまして、ようやく昨夜見ることが出来ました。

卒業から15年後、中学校の同窓会。爆弾を手に「 僕と死んでください 」と宣言する一人の男。本当に彼はスイッチを押してしまうのか?思春期に「いじめ」にあった男、前原茂雄。茂雄が同窓会爆破という過激な行動に至った動機を解き明かしていく中で、過去の「いじめ」が人生そのものを大きく狂わせていったという事実が次第に明らかになっていく。「いじめ」は真の意味では終わっていなかった。青年の傷ついた心を救えるのははたして誰なのか―

特集ドラマ 「 海底の君へ 」 番組紹介

イジメた側はそんなに覚えていないという事実

一番衝撃だったのが、イジメた側が覚えていないということ、でした。うすうすは感じていましたが、映像を見てやっぱりという思いがしました。

作中、イジメた側が、イジメの過去を言われるとはじめて思いだし、「 あ~、あれ。子どもの遊び、洒落だよ!」と笑い飛ばすシーンもありました。

そして、弁護士の職についたイジメ主犯格の男がイジメられた主人公に言った言葉「 何、お前、ゆすりか ?」には、もうこれでは前に進めない、と直感しました。

一方は洒落で、一方は海底に沈められるかのように感じ、中学卒業からの十数年間何もうまくいかないという事実を、映像を通して見せていただきました。

あらためて映像で見ると、胸が締め付けられる思いがいたします。あらためて強く思ったことがありました。それは……

悩みは比べられないということ、です。わたしもお取次を通していろいろな方の悩み・苦しみ、それこそイジメられた過去など、聴かせていただきますが、悩みは比べられません。

余談ではありますが、生活する中でよく感じるのが、戦前戦後に生まれた方は、悩みを比べる傾向にあるように思います。そのような教育を受けられたことからと思いますが。「 頑張れ 」とか「 何かしないと 」とか、「 あなたより大変な人が世の中にはいっぱいいるんだから 」とか……

本人に比べるつもりはなくとも、悩みを打ち明けた方としては「 比べられた 」と感じるのではないでしょうか。わたしは感じました。そして「 あなたには分からない 」とも思いました。

今回のドラマでも、主人公のイジメられた体験も比べられてしまえばそれまでのようにも思いました。「 もっと大変な人がいる 」とか「 何よりも今命がある 」とか。そこは比べるところではありません。そう感じます。

作中ではイジメた側がイジメれた側の悩みを比べている( 悩みを軽くみてしまう )ように感じました。セリフとしては「 いつまで根に持ってんだよ。そんな前のこと忘れて前向きに、なっ!」などと言い出しますから、本当にビックリといたしましたが、これが現実なんだな、と感じました。