宗教家のすがいんです。
2月20日にNHKで放送された特集ドラマ「 海底の君へ 」を観ました。母が録画しておいてくれまして、ようやく昨夜見ることが出来ました。
卒業から15年後、中学校の同窓会。爆弾を手に「 僕と死んでください 」と宣言する一人の男。本当に彼はスイッチを押してしまうのか?思春期に「いじめ」にあった男、前原茂雄。茂雄が同窓会爆破という過激な行動に至った動機を解き明かしていく中で、過去の「いじめ」が人生そのものを大きく狂わせていったという事実が次第に明らかになっていく。「いじめ」は真の意味では終わっていなかった。青年の傷ついた心を救えるのははたして誰なのか―
イジメた側はそんなに覚えていないという事実
一番衝撃だったのが、イジメた側が覚えていないということ、でした。うすうすは感じていましたが、映像を見てやっぱりという思いがしました。
作中、イジメた側が、イジメの過去を言われるとはじめて思いだし、「 あ~、あれ。子どもの遊び、洒落だよ!」と笑い飛ばすシーンもありました。
そして、弁護士の職についたイジメ主犯格の男がイジメられた主人公に言った言葉「 何、お前、ゆすりか ?」には、もうこれでは前に進めない、と直感しました。
一方は洒落で、一方は海底に沈められるかのように感じ、中学卒業からの十数年間何もうまくいかないという事実を、映像を通して見せていただきました。
あらためて映像で見ると、胸が締め付けられる思いがいたします。あらためて強く思ったことがありました。それは……
悩みは比べられないということ、です。わたしもお取次を通していろいろな方の悩み・苦しみ、それこそイジメられた過去など、聴かせていただきますが、悩みは比べられません。
余談ではありますが、生活する中でよく感じるのが、戦前戦後に生まれた方は、悩みを比べる傾向にあるように思います。そのような教育を受けられたことからと思いますが。「 頑張れ 」とか「 何かしないと 」とか、「 あなたより大変な人が世の中にはいっぱいいるんだから 」とか……
本人に比べるつもりはなくとも、悩みを打ち明けた方としては「 比べられた 」と感じるのではないでしょうか。わたしは感じました。そして「 あなたには分からない 」とも思いました。
今回のドラマでも、主人公のイジメられた体験も比べられてしまえばそれまでのようにも思いました。「 もっと大変な人がいる 」とか「 何よりも今命がある 」とか。そこは比べるところではありません。そう感じます。
作中ではイジメた側がイジメれた側の悩みを比べている( 悩みを軽くみてしまう )ように感じました。セリフとしては「 いつまで根に持ってんだよ。そんな前のこと忘れて前向きに、なっ!」などと言い出しますから、本当にビックリといたしましたが、これが現実なんだな、と感じました。
悩みが解消されるということは……
悩みのメカニズムとしては、何かにとらわれているから悩むのであって、悩みにとらわれなければ前に進めると、言葉にすれば本当にその通りなのですが、前述したように悩みは比べられないですから、そううまくもいかないのでしょう。一人ひとりに時間と労力が要ります。
作中、イジメ主犯格の男が、「 イジメる方、イジメられる方、どちらにも非があるんだよ!」と言いましたが、これもさらに海深くに沈められた感がありました。イジメられた側目線として。
そんなことは分かっていると思います。自分が全く悪くない……などと思っている人などいないとわたしは思っています。口には「 ぼくは悪くない…… 」と言いながらも、心の奥底では、何かしら気付くところがあるようにも思うからです。
こちらがそうであるともそうでないとも簡単に白黒をつけないこと
師の言葉
師の言葉ですが、これは相手が、自分自身で深めることをジャマしてしまうから、という理由からです。どこまでも相手の味方なのですが、全面肯定はしない、こちらが良い悪いと白黒をつけないということです。比べない。
そのままを受けとめることが要る、相手が受け止められたと感じる感覚が要ると、あらためてそう強く感じました。
その接し方では受け止めてもらえてないと感じてしまう|ある対談記事を読んで|宗教家の書くブログ |
だから「(弟に)あなたは悪くないと言い続けて!」と、主人公がヒロイン( ヒロインの弟もまさに今学校でイジメられ自宅マンションから飛び降りてしまう )に言うシーンがありましたが、そこは違和感を覚えました。
良い悪いじゃない、誰が決めるのでもないように思うからです。
じゃあどうすれば……非がある非がないを言う、伝えるというよりも、ここにいていいんだよ、ここにいてほしいと言い続けることが要るなぁと感じました。
クライマックス、ヒロインがまさにイジメられた主人公が爆破自殺する瞬間、「私のために生きて!」と言われ、主人公は爆破スイッチの手をとめました。
これも「 俺はここにいていいんだ 」「 誰かの役に立てる 」と魂が了承した瞬間だと思います。気持ちはメチャクチャでしょうが。
だからスイッチを押さなかったのだろうと思います。
おわりに
受け止めるということは良い悪いと、何かと比べて伝えることではありません。そう思います。
少なくとも、自分の気持ちを相手に伝えることは出来ますから。ここにいていい、ここにいてほしいと伝え続けることが「 愛 」、相手をそのまま受け止めるということなのだろうなぁと感じました。それが要ると。
すごくいろいろなことを感じさせられる作品でした。
歴史的にイジメはずっとあります。成長途上のお互いですからイジメが無くなることは難しいのかもしれません。けれども本人が受け止めてもらう可能性や、フォローする周りが変わることは十分期待できますので。
73分には感じないぐらい( もっと長く感じました。中身が濃かったということです )、観ながらもどんどんと引き込まれてしまい、あっという間に終わってしまいました。NHK特集ドラマ「 海底の君へ 」を観て感じたことを書いてみました。
いかがでしょうか。