2016年9月24日土曜日

金光教の葬儀式|金光教武蔵小杉教会の場合


宗教家のすがいんです。

金光教の葬儀式|金光教武蔵小杉教会の場合
( 参考 )葬儀式のしおり。参拝者にはこれを配ったりします。

今日は「 葬儀式 」について。その中でも終祭しゅうさい( 仏教で言うお通夜 )と告別式こくべつしき、そしてその後について書いてみたいと思います。

終祭しゅうさい

亡くなられてから数日の間に終祭しゅうさいを行います。場所は地域のセレモニーホールであったりご自宅であったり、教会であったりします。

終祭しゅうさいの前に必ず次のお話をさせていただきます。

金光教では「生きても死にても天と地とは我が住み家」と教えられ、生きている間も亡くなってからも、神様の懐の中で抱かれていると教えられております。これから仕えさせていただく「 終祭しゅうさい 」は人生最後の儀式であります。

祭主が亡き○○○○さまに代わり、神様へ生前生かされて生きてきた御礼を申し上げ、そしてこれからの御霊の神としての立ち行き・助かりを御願いいたします。

なお祭事中、*霊璽奉遷れいじほうせんという「 みたまうつし 」の儀式がございますが、その時に全ての明かりが消えますことご了承願います。*霊璽:仏教で言うお位牌

また、後ほど皆さまには「 玉串 」をお供えしていただきます。そのときの拍手は故人を偲んで、音をさせない忍び手しのびてにてご拝礼いただきますようお願いいたします。金光教の作法は、一拝、四拍手、一拝でございますので、本日は玉串をお供えし、一拝、四忍び手、一拝でお願いします。また、玉串は榊がお皿、紙垂しでがお供え物の役割ですので、玉串をあげていただく際、紙垂が落ちないようご配慮ください。

終祭の説明

このような説明をさせていただくのです。ようは、本来故人がするべき『○○年の間、神様のお働きにより生きてこられました、ありがとうございました』という御礼を、もう喋ることが叶わない故人に成り代わって、祭主が神様に御礼申し上げる、そのようなお祭りに、参拝者のみなさんが同席してもらっているという理解ですね。これが終祭しゅうさいです。

告別式

告別式でも説明することがあります。

告別式とは字のとおり、別れを告げる儀式であります。何に別れを告げるのか。

金光教では亡くなると、みたま( 魂のこと )と肉体に別れると教えられ、みたまは神のもとへ、肉体は土に返ると教えられています。

告別式では、昨日さくじつみたまうつしを終え、残された肉体、○○○○さまが○○年間お世話になった肉体に別れを告げさせていただきます。

告別式後、出棺、火葬場へと移らせていただきます。

告別式の説明

このように説明させていただいています。肉体に別れを告げるのですね。みたま( 魂のこと )は生き通しということです。存在が消えるという理解ではないということですね。この理解もありがたい限りです。

おわりに

火葬場で火葬後、ご霊璽れいじ、ご遺骨いこつと共に、葬儀が滞りなく終わった旨の御礼を申し上げる祭典をあらためて行い( 葬後霊祭そうごれいさい )、葬儀式は終了です。

その後は、旬日祭じゅんじつさいと呼ばれる10日ごとのみ祭りを丁寧にさせていただきます。これは御霊様がこれからシッカリとお働き叶うように、御霊様が自覚されるようにと言ったらいいのか、そのために祭典を仕えるのかなぁと理解しております。

誕生日と一緒です。産まれた日をハッキリと記憶している人などいないのと同じで、亡くなった瞬間も分からないのではないでしょうか。誕生日にお祝いされて、あぁこの日に産まれたのかという具合いです。

わたしの思う『 御霊観 』について……[ 金光教編 ]|宗教家の書くブログ わたしの思う『 御霊観 』について……[ 金光教編 ]

「 亡くなって10日目ですよ 」「 20日目ですよ 」と。そして50日の祭事のあと、お墓がある方は納骨のうこつという形となります。

その後は1年ごとのみ祭り。一つひとつ丁寧にさせていただくことが肝心です。それは御霊様のため、というよりも生きている私たちのためのようであると思っています。

祭り日は、信心を忘れないための大切な日である。この祭り日を忘れさえしなければおかげがある。忘れたらおかげはない。親の恩を忘れないための法事のようなものである。何事にも恩を忘れてはならない。

教祖様のみ教え

葬儀式、一連の流れを記してみました。いかがでしょうか。



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