宗教家のすがいんです。
インターネットで検索しても、「金光教の参拝のしかた 」は出てくるのですが、「金光教のご祈念のしかた 」は出てきません。そこで、今日はご祈念のしかたについて書いてみたいと思います。あくまで金光教武蔵小杉教会では、ということで。
参拝のしかた|金光教(外部リンク) |
ご祈念の仕方|金光教武蔵小杉教会の場合
武蔵小杉教会では、現在、あさの6時とよるの6時にご祈念( 勢祈念 )をしています。↓この『 日々がさら 』を使って。
『 日々がさら 』お求めはこちらから→『 金光教徒社(外部リンク) 』紺色のほかに、えんじ色もあります。
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ご祈念、よるの6時はお取次を優先し、お取次が6時を過ぎても継続していたら、ご祈念は各自でしていただくようにしています。
それではいよいよご祈念の内容について書いてみたいと思います。
その前に。わたしは学院生のころ( *学院=金光教学院:金光教教師養成機関のこと……教師になるために一年間の修業が必要です!)ちょうど30歳の節目の誕生日を迎えたのですが、誕生日のその日に教主金光様よりお言葉をいただき『 日々がさら 』に書いていただきました。それがこちら。
そして、こちらは当時の学院長( 金光教金岡教会長・岩本世輝雄先生 )にいただいた言葉。同じく『 日々がさら 』に。10月25日が誕生日ですので、こちらは二日後でした。
せっかくですので、紹介させていただきました。では……
まずは何といっても、ご神前に向かいます。 武蔵小杉教会ではご神前とご霊前があります。教会によってはご神前とご霊前が一体になっているところも。
そして四拍手をし、そのあと拝詞を読み上げます。拝詞は先ほどの『 日々がさら 』より。
神前拝詞|『 日々がさら 』P.12~P.19
ご祈念では、必ず先唱する人がいますので( 一人でのご祈念なら自分自身が先唱者となります )、先唱者が「 かしこしや~ 」と言ったらそのあと、「 あ・ま・つ・ひ・の~ 」と合唱になります。
神前拝詞は、字の通り、ご神前でまず最初にあげる拝詞のことです。
内容( 意味合い )としては、天地のあり方や、人間の存在意味や、どうして教祖さまが現れたのかとか、教祖さま( 取次者含む )の必要性など、教祖さまのみ教えに添って作られています。
それから大切なことを……
まず、金光教は祈念祈祷で助かる宗教ではありません。
ですから、「 この日々がさらを唱えたら助かります 」というものではありませんので。あくまでお取次で助かっていく宗教です。
日々がさらを使っての毎日のご祈念は祈る稽古のためと理解しています。なぜなら、いきなり「 信心しなさい、神さまにあなたの心を向けなさい 」と言われても「 どうやって?」と、分からないでしょうから。
ご祈念を通して、神さまにわが心を向けるということを、肌で感じてもらうためのもの、ということですね。次行きます。
取次唱詞|『 日々がさら 』P.20~P.21
こちらも先唱者が担当の部分を唱えてから、ですね。
取次唱詞は、「 これからお取次をいただきます。しっかりとこの心にいただけますように 」との願いを込めたものです。次。
御神号奉唱|『 日々がさら 』記載なし
取次唱詞のあと、ここで、武蔵小杉教会では『 御神号奉唱 』というものを唱えます。
御神号とは教祖さまが神様からいただかれた神号のこと。「 生神金光大神様 」です。
それをひたすら、読み上げます。ただひたすらに、「 生神金光大神ぁ~生神金光大神ぁ~ 」と。武蔵小杉教会では20回ほどと決めています。まぁそのときの気持ちに応じて回数は増減しますね。
御神号奉唱、なぜか日々がさらに載ってません。代々教会ごとで受け継がれたもののようで。けれども金光教では一般的なご祈念詞です。まず知らない人はいません。
意味は……というよりはもう無心となって唱え、それがすなわち神さまに向かうということでしょうか。次。
天地書附奉体|『 日々がさら 』P.22~P.23
唯一、教祖さまが神様からいただいた言葉そのままの拝詞です。だいたいのお教会のご神前に『 天地書附 』が飾られています。
おかげは和賀心にあり、は、金光教の代名詞ともいうべきみ教えです。わたしの心が和らぎ喜( 賀 )ぶ心になることがおかげというもの。おかげは環境や他人から分け与えてもらうものではないということです。次です。
神徳賛詞|『 日々がさら 』P.24~P.25
これは、神様のお徳を賛える詞です。字のとおりですね。神前拝詞とは別にあらためて。。
ここまでがご神前でのご祈念になります。
このあとに武蔵小杉教会では『 御造営御礼祈願詞 』というものをあげます。お教会の御造営( 建築 )を祈願して教会独自につくったものですね。
そして四拍手、ご霊前へと向かいます。
霊前拝詞|『 日々がさら 』P.31~P.33
まずはご神前と同様に、四拍手をします。それから霊前拝詞へ。
神前拝詞同様、先唱者が「 あわれみたまのかみたちはや~ 」と言ったら、続けて「 と・お・く~ 」と合唱します。
霊前拝詞も、字の通り、ご霊前でまず最初にあげる拝詞のこと。
金光教での御霊観や、御霊様( ご先祖様 )に守られてのわたしたちという意味が込められ、これからもわたしたちのことをお守りください、とお願いします。
霊前拝詞が終わったら、最後に四拍手をし、ここまでがご祈念の内容になります。
武蔵小杉では締めとして、再度ご神前に戻り、四拍手、そして、教祖さまのみ教え一つを読み上げ、さらに四拍手、先唱者( だいたいわたし )がお結界で御礼のお届けをして、参拝者に対して「 ありがとうございました 」の挨拶で終わります。
時間にして30分ぐらいでしょうか。毎日毎日、休みなく、一年365日、日曜日も祝日も盆も正月も、変わりなくご祈念させていただいております^^
ここからは番外編として、普段は唱えない拝詞の紹介です。
【 番外編①|ご神前 】金光大神賛仰詞|『 日々がさら 』P.26~P.30
これは教祖さまの一生涯を賛える詞で教祖さまのお祭りの際にあげさせていただいています。
【 番外編②|ご霊前 】祖先賛詞|『 日々がさら 』P.34~P.36
これはそれぞれのご家庭での御霊様を賛える詞で霊祭、お宅祭の際にあげさせていただいています。
【 番外編③|ご霊前 】天地賛仰詞|『 日々がさら 』P.37~P.39
これは葬儀の際、故人に対し御霊となってここからの道付けをお願いするためにあげさせていただいています。葬儀でしかあげないため、金光教でも知らない人もいらっしゃるかもしれません。( 信心は金光教でも葬儀は○○家代々伝わる□□教でという氏子さんもいらっしゃいますし )
【 番外編④|ご霊前 】新霊神拝詞|『 日々がさら 』P.40~P.41
これは新霊神、新しい霊神という意味。氏子さんが亡くなられてから50日間あげさせていただきます。( 50日後に納骨の儀 )
これも天地賛仰詞同様、故人に対して。遺族の故人に対しての想いや、そもそもの人の命のはかなさなど、また御霊としてのここからの道付けを願うためにあげさせていただいています。この50日間を通して遺族にとっても拝詞をあげることで故人が霊神となったのだと実感し、残された遺族にとってもおかげになると理解しています。
おわりに
金光教のご祈念の仕方について、まとめさせていただきました。
いつも以上に時間がかかりましたがまとめさせていただくことが出来ました。誰かの参考になれば嬉しいです。
いかがでしょうか。