こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。

オモシロイ記事を読みました。部下を育てるにはただ「 見ている 」だけでいい(東洋経済オンラインより[外部リンク])
カンニングが突然、激減しました。生徒達の答案は、まるでこれまでのことがウソのように、それぞれの努力の跡が見られるものになっていたのです。
その改善の理由というのが、「その日はたまたま、試験官が教室の後ろに座っていた」というもの。
部下を育てるにはただ「見ている」だけでいい(東洋経済オンラインより)
見ているということについて……
師のお取次から
「 見ている 」ということから思い出すことがあります。
それは、師より度々見守るという言葉をいただいていることです。
もちろん数々と教えていただいているのはそうなのですが、この「 見守る 」については、何か教え諭すというよりは、常に見てますよ、と。その中には祈ってますよ、という想いも込められてのことと思いますが。
最初は「 見守る 」と聞いたとき、「 そっと(見守る) 」や「 陰から(見守る) 」という枕詞が連想され、少しツキ放されたような感じも受けましたが、先ほどのカンニングの例のように、常に見られているというのは、カンニングをしなくなるのもそうですが、と同時にとても心強いものだなぁと思うわけです。これ実際の話しで。
だからわたしも同じようにお参りされる氏子さんに「 見守っています 」という言葉がけを意識してさせていただくようになりました。
見ててね!
先ほどの記事には子どもの例が書かれています。
よく子どもが親に対して「 見ててね 」と言いますね。「 出来るから見て!」と。「 出来るところを見て欲しい 」という欲求からの言葉かと思いますが、実際に何度も何度も見ることで、それが子の成長を促すとも考えられるわけで。
一寸考えてみたら、そうだなぁと思えます。それは見てもらえるから頑張ろうという気になるものと思うから。
これが誰からも無関心で、誰からも見てもらえない状況が続くとなったら、たとえどんなにそれが正しいことだろうとも、頑張ろうという気も薄れてくるのではないかなぁと思うわけです。
ブログも見てもらえている、そう思うだけで「 書こう 」という気にもなります。これは見られている子の立場として。
子からしたら親から見てもらえているだけでも違ってくるというものですね。
そして親の立場としては、カッコいいことが言えなくても、何も教えられなくても、いいということですね。親という漢字自体が「 木 」の上に「 立 」って「 見 」ているですから。よく聞く言葉ですが。漢字そのままですね。
おわりに
見守るということ。
これはどんな人にでも出来うることかと思います。子を助けたいというその気があれば。子に対して何も教えられなくても、ですからね。
愛情の反対は怒りでもなく「 無関心 」といわれるのも「 見守る 」ということに関係することかと思います。いつでも注意を払ってあなたを「 見守っています 」という親の態度・姿勢がとても大事で、それが子に愛情を与えているということになるのでしょう。そう思います。
そこから子どう受けたかという実際もあるでしょうが、まずは親が出来ることとして。でもこれも「 見守る 」ということをしてもらった人しか出来ないのかもしれませんね。
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「 見守る 」ということについて書いてみました。いかがでしょうか。
この記事を書いた人須賀院崇徳(すがいんたかのり)
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