こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。

裏切られる……という感情がどこかにあるから、一つのことを信じ続けることが出来ずにいるのだろうと思います。まさに疑心暗鬼です。
半信半疑という言葉もありますね。昨日の投稿でも書きましたように半分信じるというのは、こと信仰においては信じていないことになろうかと思います。
条件付きで信じるということと疑うということの密接な関係|宗教家の書くブログ | ![]() |
裏切られるのが怖くて信じることが出来ない
裏切られる……とは、実際に裏切られた経験がある人ほど強く根深く残る感情かと思います。「 トラウマ 」とも言えるでしょうか。だから怖い。信じるのが怖い。信じて、もし裏切られたら……という思いです。そこを信じさせてあげたく思っております。助かるために。
信心させてやれ
ある宅祭を仕えさせていただいた際、御霊の神さまからお気付をいただきました。
信心させてやれ
ある宅祭でのお気付け
手法は問われていません。工夫が要るということです。裏切られるのが怖くて信じられない人には、どういう工夫が要るでしょうか。
わたしは真っ向勝負が要ると思っています。信じたいけど裏切られるのが怖いと思われている方に、真っ向から対峙していくことしかないと思っています。体ごと、体当たり。
ここで大切なのが、相手の言動にバタバタしないこと。相手も苦しいですからね、そして助かりたいから一生懸命こちらを試してくると思います。
暴言を吐いては、コレでも見捨てないか。奇行をしては、コレでも見捨てないか……と何度も何度も試してくると思います。
そこをバタバタしない。バタバタしないイメージとしては、そのかたの言葉を耳にはするのですが、動きを目にするのですが、動じないように意識しつつ( 動き出すとこちらも止まらなくなりますから )、魂が傷ついているから出てくる言動と受け止め、そして相手に対しても、受け止めてもらっていると感じてもらわなければいけませんから、その辺も注意して、そのような意識でもって長期戦( 5年、10年のスパン )を覚悟した真っ向勝負で挑むことが要るのではと感じます。
魂が傷ついていることについて以前書きました。
死にたい……消えたい……それは魂が傷つき悲鳴をあげている状態|寄り添うことで鎮まっていく|宗教家の書くブログ | ![]() |
まぁ勝負というと戦いを連想しますが、あくまで相手を受け止めることが第一ですから、それは柔らかくニコニコとさせていただきたいと思っています。
おわりに
一言一言に左右されバタバタすると止まらなくなりますからね。口がすべるということもありますし。
その口がすべった言葉をどこまでも相手は敏感に覚えているように感じます。わたしがそうでしたからよく分かります。耳に、心に残るのです。相手がそんなつもりじゃないと言ったとしても。
してしまったことは仕方がないことですが、その部分を軽視せずに向きあわせていただきたいと思います。わが子もしかり……ですね。
いかがでしょうか。
この記事を書いた人須賀院崇徳(すがいんたかのり)
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