おはようございます。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。

生かされている感覚
『 人のお役に立ちたい 』最近良く思います。
まず人のお役に立てる人( 立ちたいと思う人 )というのは、自分を知っている人だと思います。
どういうことかといえば、天地の中で神様に生かされている自分だということを知っている人。
このことを知っている人は、人のお役に立てるような気がします。人のお役に立ちたくなるように思います。ここは自分の意志とは関係なく。
逆に知らない人は……人のお役に立ちたいと思いにくいのでは、と思います。なぜなら生かされている、という感覚、お世話になってます、という感覚、おかげを受けているという感覚がないわけですから。
毎日、毎日、生きているのではなく生かされているということ。
欲の先が見えなくなった
これも、頭では十分に分かると思うのですが。言われたら「 うん、そうだなぁ 」と。
けれども頭では分かっても行動がともなわない。これは分かってないとわたしは理解しています。良い悪いではなく。動けないのなら。厳しいようですが。
天地の親神様に生かされている。
生かされていることが腹の底から分かれば、何をするべきかは自ずと分かってくると思うのです。だれが言うでもなく、誰が頼むでもなく。。
これはもともと分かる心を誰もが持ち合わせているということから。『 分かる心をいただいている感覚、それぞれに 』
たとえば「 欲 」があります。美味しいものが食べたい、かっこいい車に乗りたい、お金持ちになりたい、などなど。そのようなふと浮かぶ欲望、わたしにもいっぱいあります。
でも、その欲望の先に一体何があるのかなぁと思うようになりました。生きていく上でとても楽しみの一つではありますが、それだけを追い求めても心は満たされないのではないでしょうか。満たされないように思います。欲が欲を生み、結果は容易に想像出来ます。
わたしも金光教の教師にならせていただいて、少しづつですが、天地の親神様の御恩を知ることになりました。
天の恩、地の恩……。光の恩、熱の恩、水の恩、土の音、空気の恩……。
これを知っていく過程には『 厳しさ 』『 優しさ 』が要るなぁと思います。親子でいうところの父性と母性です。
『 気付くまで試練を与えてくださる厳しさ(父性) 』『 どんなに間違っても許してくださる優しさ(母性) 』
なぜ父性と母性で接してもらうことで神様の恩を知れるようになるのか。
それは教祖さまは親が子を想う心、これが神様の心であると教えてくださっているから。そして、
神はわが本体の親ぞ。信心は親に孝行するも同じこと。
教祖さまのみ教え
と、み教えくださっています。
おわりに
『 人のお役に立ちたい 』貢献感ですね。「 役に立ってる 」という貢献感。
『 人のお役に立ちたい 』今のわたしの生きがいになっています。具体的には神様の恩を知ることで感じるありがたさを伝えていくことです。まだ知らない人へ、知らずに苦しまれている人へ。伝わるように祈りながら。
いかがでしょうか。
この記事を書いた人須賀院崇徳(すがいんたかのり)
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