こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。

何か言わないと……いつしかプレッシャーを感じるように
無理に送信しようとせずとも「 聴くこと 」で送信されている
師の言葉
この言葉( 教え )もまた衝撃的でした。まずわたしの心が楽になりました。
金光教では、お取次という働きがあって、取次者であるわたしは悩み苦しんでいる方のお話を聴かせていただきます。
その際、「 何か言わないと 」といつも思っていました。宗教家として、取次者として目の前で苦しんでいる人が助かる何かを言ってあげないと、と。
教祖さまのみ教えもいろいろとありますし、この目の前の方がどうにか助かるようにと、そのためには「 何か言わないといけない 」と思ってしまっていたのです。そして何も言えない自分に毎回落ち込んでいました。
また何か言っては、見当違いの言葉を発してしまい、苦しんでいる人の心が晴れるどころか、かえって失望させてしまうことも度々ありました。
それが、師の言葉で救われました。楽になりました。どうして「 聴く 」だけで何も言わなくてもよいといえるのか……
「 聴くこと 」で相手は「 聴いてもらえている 」と受信する
まず親身になって相手の話を「 聴く 」ことで、相手からしてみたら「 聴いてもらえている 」ということを感じるのです。
受信しているわけですね。「 聴いてもらえている 」と受信するわけです。
こちらが「 聴く 」という行為をもって、それは何か言葉として送信しているものはなくとも、相手は「 聴いてもらえている 」と感覚的に受信する。
聴くことで送受信は同時にされているということを教えていただき、わたしの目の前が開けました。
それほど「 何か言わないといけない 」という思いがいつしかプレッシャーになっていたのだなぁと思います。
もちろんずーっとダンマリでも進まないところもありますが。。
おわりに
最初から「 何か言わないといけない 」と、そこまで気負わなくて良いのだなぁ、ということを教えていただき感じられるようになりました。
むしろ最初はあれこれ言わないほうがいい場合の方が多いように思います。
こういうことも教えていただきました。人間の耳は2つ、目は2つ、口は1つ。耳で聴いて、目で聴いて、口で話すわけですが、割合でいけば4:1=8:2です。師は「 9 」聴いてもいいぐらいと言います。それぐらいの割合でちょうどいいと。
これは人間の身体がそういうふうに出来ているということです。なかなかその通りにできていないのですが……
いかがでしょうか。
この記事を書いた人須賀院崇徳(すがいんたかのり)
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