おはようございます。宗教家の須賀院崇徳( @TSugain )です。

人は人のために
生き甲斐。生きている甲斐。生きていく中で誰かの( 自分だけでなく )何かのお役に立っていくことかと思います。
親の想いとして、「 生きていてくれたらそれでいい 」とも聞きますし、本来、親であるならばそう思うのかもしれません。
生きていくことの先に助かってほしいという願いもまた生まれてくるのは、自然なことかと思います。
この子のためなら、と想い行動する事が生き甲斐になるかと思います。
ここまでは親の視点です。自分が子として親から想われている立場として、です。
そんな親から願われている自分が、先ほどの生き甲斐をどう感じていくかが非常に大きな点かと思うのです。
自分がこの世に生まれて、何か意味があったんだろうか。こんな僕でも誰かのお役に立てるのなら、などなど。
感じ始めたら生き易くなり、人生は素晴らしいものになっていくように思います。
頭では分かってはいても、なかなか素直に行動出来ないですし、そもそも生き甲斐が良いものとも思えないのかもしれません。
でもそれは生き甲斐を知らないだけかと生き甲斐を知らされた今、そう思いますが、どうなのでしょうね。
人からいただく感謝の言葉というのは何物にも代え難いものと思います。
思いたいけどそう思えないのなら、出来ないなら神様にお願いしていけば良いと思います。たとえ今は出来なくとも。
僕も明日はどうなっているやら分かりませんから、今日一日をお願い申し、そして寝るときには今日一日を御礼申して、明日もまたどうぞとお願い申して進めさせていただいてるのみです。
生き甲斐は感じられていますか。
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この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)
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