おはようございます。宗教家の須賀院崇徳( @TSugain )です。

捉え方次第
捉え方の違い、言葉にすると明確になることがあります。
言葉にしてはじめて「 そう思ってたんだ 」ということに気付かされます。
ご信心とは、教祖さまの生き方に触れこちらの心を改めて、悪いところは出来る限り直してお詫びして、良い方へ、良い方へと考え改めさせていただくことかと思います。
その考え方がときに、理解されないこともあるのかなと、感じたりもしました。
例えば、悲しい時に喜ぶこととか。
どれだけ大きな難儀の中にも、必ずおかげは含まれていて。というより、おかげがあってはじめて難儀に出会えるという順序ですね、考え方で。ここの捉え方がそもそも違いますから。
教祖さまは、
難はみかげ
教祖さまのみ教え
と、教えてくださっています。
「 闘病生活 」というのも捉え方で変わる。病気と闘う……、少しの違いで後々が大きく変わるように感じています。
亡くなった祖父は、次のように言っておりました。
病に罹っても、「ようこそ、自分の不注意を知らせ下されました。有難うございます」と、病にお礼を申す気なら、病も喜びその人をそんな苦しい思いにさせません。
しかし、病を目の敵と思い、メスを入れ、痛い目に会わせるから、病も怒って場所替えして移転するのです。
まあ、同居されたら、仲良く行きましょうよと、病を愛する気なら、血行も良く気に病まないから病も良くなり、重い病気にならないのです。
須賀院義雄師の教え
いかがでしょうか。
亡き祖父の教え「 ある家族の助かり 」より⑫|宗教家の書くブログ | ![]() |
この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)
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