おはようございます。宗教家の須賀院崇徳( @TSugain )です。

理不尽な場面に
「 もっとシッカリやってください 」
こちらはちゃんとやってるのに。。その切り口では、たとえ正論だとしても、ときに相手を責めてしまうことになりかねないのでしょう。
どれだけ相手のことを想っていたとて、言った方が誰からどう見てもしっかりやっているという状況でも、聞いてる側がどう思うかで、それが全てなのではないでしょうか。
ご信心させていただくなかで、この理不尽な場面に何度も出くわし、考え方が転回してきています。人を活かすということに。
あまり気を遣いすぎても、話も理解も歪んでいくのかもしれません。
そうかもしれませんが、目の前の相手がどう思うかがすべてで、それこそが大切にすることなのではとも思うようになりました。これが寄り添うということなのでは。
教祖さまの教える、人が助かりさえすればよい。この考え方に合っているや、間違っているなど、またまた、しっかりやっているや、やっていない、出来ていないは、はたしてあてはまるのでしょうか?というより必要なのでしょうか?
そんなことを考えるようになりました。受け止めてもらって後のことです。
選べるって優しくなかったりしませんか。|宗教家の書くブログ | ![]() |
いかがでしょうか。
この記事を書いた人須賀院崇徳(すがいんたかのり)
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