2017年6月15日木曜日

右脳で生きることが世界平和につながる=ご信心の世界


こんにちは。宗教家の須賀院崇徳( @TSugain )です。


右脳で生きることが世界平和につながる=ご信心の世界
より多くの時間を右脳の意識世界に向けられたなら……

今日は以前から気になっていたことが、ある記事( 動画 )を読んで( 観て )少しクリアになったのでそのことについて書いてみたいと思います。

まずは別人格を有している人間である私

ある記事とはこちら……脳について研究しているジル・ボルト・テイラー博士が自身が脳卒中になった体験についてスピーチされたものです。

脳学者が語る“脳卒中体験”がすごく気持ちよさそう!? 一切の重荷やしがらみから解放された世界らしい【 外部リンク 】脳学者が語る“脳卒中体験”がすごく気持ちよさそう!? 一切の重荷やしがらみから解放された世界らしい

動画はこちら。

その中で博士は次のように言われています。

例えるなら右脳は並列プロセッサ、左脳は単一プロセッサの機能を持っている、という説明がわかりやすいかもしれません。2つの脳半球は3億の神経線維からなる脳梁を通して通信し合っていますが、それを除けばそれらは完全に分かれているのです。2つの脳半球は別々に情報を処理します。そのためそれぞれの脳半球ではいわば考えることが違うのです。言葉を変えていうと、2つの脳半球はそれぞれ別人格である

「脳学者が語る“脳卒中体験”がすごく気持ちよさそう!? 一切の重荷やしがらみから解放された世界らしい」より

人間というものがそもそも別人格を有している存在であるということ。脳の構造がそもそもそういうものなのだということです。

右脳は「 現在ここにあることがすべて 」、左脳は「 情報を整理し、過去の経験と結びつけて、それを将来の行動へと反映 」と。

その右脳・左脳を行き来しているのが人間なんだよ、ということ。だから別人格が共存している存在というのが妙に腑に落ちたのでした。

よく右脳系人間とか左脳系人間とか聞いたりもしますが、どちらが得意かどうか、どちらが苦手かどうかなだけで、共存しているには違いないと、そう思えたのです。

ここまでは脳の構造から、または知識があれば、そういうことだよねと容易に想像できる人も多いのかと思います。

驚いたのは次の事です。博士は、脳卒中を経験したことで、左脳の働きを失い右脳だけとなり、「現在ここにあることがすべて」が、文字通りすべてとなった体験から感得されたことを言われています。少し長いですが引用します。

私たちは器用な体と2つの認識的な心(左脳・右脳)を備えた宇宙の生命体です。私たちは左脳の働きにより、この世界でどんな人間になりたいのか、どのような存在でありたいのかを選ぶ能力があります。

そして同時にこの瞬間、私たちは右脳の働きにより、右脳の展開する意識世界へと寄ることができるのです。その世界では私たちは宇宙の生命力の共同体となります。私たちを作り上げる50兆もの美しい分子が、世界と一体となるのです、そしてそれは生命力の塊となってあふれているのです。

そうかと思えば、私たちは左脳の意識世界へ戻り、1人の堅実な個人として存在することを選べます。大きなエネルギーの流れや共同体とは別個の存在です。たとえば、私ならばそこでそう認識するのでしょう。「私はジル ボルト テイラー博士であって、有能な神経解剖学者である」と。

このように、私たちの中には、このような、まったく別の2つの意識世界が存在するのです。それら両方が、私たちの中にあるのです。

もし皆さんがそれら2つを選べるとしたら、どちらを選ぶでしょうか。どちらを、どのように、いつ、選ぶでしょうか。

私は確信するのです、私たちがより多くの時間を右脳の意識世界に向けるのならば、平安の地を見つけることにもっと時間を費やすのであれば、世界はもっと平和な場所になるのではないかと。そして私は、これは広める価値のある考えだと思うのです。

「脳学者が語る“脳卒中体験”がすごく気持ちよさそう!? 一切の重荷やしがらみから解放された世界らしい」より

選ぶのはいよいよ私ということ。ただ人間というものを知らないとそもそもで選ぶことも出来ないということ。

結果、僕の中で2つのことがよりクリアになりました。それが、

  1. 別人格を有した私=人間であるということ
  2. 別人格である2つのどちらかを自在に選ぶことが出来る私=人間なのだということ

です。

僕の中に、これが同じ自分なのかと思うことがよくあります。信心する前はそれがどうしても受け入れられずに、自分で自分を否定することも多かったです。こんな自分はダメだ……みたいに。

でもお取次いただきご信心させていただくようになり、「どんな私でもいいんだ」と思えた辺りから、キレイな清い親切である自分も、汚いドロドロとし、ときに凶悪なことを考えてしまう自分も、どちらも自分なんだと受け入れられるようになりました。

で、ここから信心とつながっていくのですが、金光教では、人間は神様の尊い氏子として捉えられていて、誰もが神様の氏子で、だから誰もが神様なんです。

この方がおかげの受け初めであり、信心すれば、だれでも受けることができる。

教祖様のみ教え

と、教祖様が保証されているのもこのことから。みな神様の氏子で神様なんだから、おかげは受けられますよ、と。ただ、信心すればと言うところがミソなのですが。。

これらが先ほどの博士の言葉とつながりました。

右脳は、神様としての自分、神様とつながっている感覚、周りの人がみな神様という感覚、一体感、全体感、そういったもの。余談ですが、こんなことご信心する前は1ミリも思えなかったことです。人間みな神様?そんなわけあるか、と。この世には一定数の極悪人( 例外 )がいると思いこんでいましたので。でもそれは違いました。

そして、左脳は、どうしようもない自分ということ。凡夫な我。過去の失敗や将来の不安などからイライラしてしまい、人に対しての殺意も含めた凶悪なことを考えてしまったり、およそ神様とはイメージできない、そんな自分ということ。

ご信心させていただくようになり、この二分した自分がずーっと同居している感覚だったのです。これでいいの?このままじゃダメだ?と自問自答する日々でもありました。

それを、博士は僕に分かりやすいような言語化をしてくださっていて、これまで抱えていた問題点がクリアになりました。

僕が日々させていただいているご信心がまさに、左脳と右脳を行き来する苦悩から逃れるためのものであったということに気付いたのでした。

博士が、『 私たちがより多くの時間を右脳の意識世界に向けるのならば……世界はもっと平和な場所になるのでは 』と締めくくられているように、僕の言葉でいうならば、より多くの時間を使い生き方がご信心( わが心が神様に向かうこと )になることこそが、それこそもっと神様と溶け合って、そして神様の子ども同士である周りの人と手を取り合っていけたのなら、願い合っていけたら、想い合っていけたら、どれだけ平和になるのかと、心の底から思えました。

おわりに

自分の中に排除したいモノはありませんか。一方でそんな自分にも清らかな美しいモノがありませんか。

受け止めてくださる存在を経てのことではありますが、そのどちらもが自分なんだという知識と、理解を。

その上で、自在に選択できる自分なんだということを、生き辛さを感じられているすべての人に知ってもらいたいです。

わが心で世界は変わると教えくだされた教祖様。一方で、だからこそ油断すればいつ神様からお暇が出るか分からないと言われていた教祖様。まさに神様と人間である私と、行ったり来たりをされながらも、神様へ神様へと向かわれていたのだなぁと。今から158年前のこと、そのスゴさ、ダイナミックさを感じます。

どちらも自分で、どちらも選択可能ということです。いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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