2017年4月16日日曜日

「信じる」について考えてみました


おはようございます。宗教家の須賀院崇徳( @TSugain )です。


「信じる」について考えてみました
信じるってホレることかも……。

今朝、ある記事を目にしました。記事全文はこちら 「 信じる 」について書かれていました。記事を見て、あらためて思うところを少し書いてみます。

「 信じる 」とは

信じる中に相手の態度如何が入れば、それは【条件付き】で信じるということ。前から思っていたことです。

たとえば、「 〇〇なら信じてもいいよ」というもの。これは最初から信じてないのですね。

信じるというのはどこか怖いもの

師の教え

この言葉の背景には、「 信じて裏切られたらどうしよう 」という気持ちが入っているのですね。だから裏を返せば、私のことを裏切らないのなら信じてあげてもいいよ、と、大げさに言えばそんな感じ。先ほどの【条件付き】になるのかと思います。

「 裏切られる 」という状態?

植松さんの記事には、

本当の信じるって、なんだろう?

もしかしたら、「自分が信じた相手が、どんなことをしても受け容れること」かも・・・

だとしたら、「裏切られる」という状態は、なくなるんだな。

植松努のブログ(まんまだね)より

「 裏切られる 」という状態がなくなること、と言語化してくださってます。

そうなんですね。裏切られた、というのは、そもそもで、こちらの思っていたことに反した言動が相手との間に( 私の心の中に )現れた状態ですから、それすらも込みで、最初から「どんなあなたでも受け容れますよ」の状態なら、言葉の通りどんなあなたでもですから、裏切られたとは思わないのだとあらためて感じました。

だから、「 裏切られた 」と思った時点で、自分の「 信じる 」をチェックしてみてもいいのかもしれませんね。「 信じる、信じてるとか言ってるけどホントの所どうなの?」と。

そしてそして、「 信じていたのに裏切られた 」はまさにです。僕はいつも、それ最初から信じてないよ、と思うようにしてますし、これから何かを、それこそ「 神様を信じたい 」と言ってる人にも、折をみて伝えています。信じるということとして、ですね。

そういえば、僕も数年前に思ったんです。「 裏切られてもいいから、この神様を信じると決めた 」と。可笑しいですがホントの話。

当時は「 裏切る 」ということが今ほど分かっていなかったでしょうから、騙されるとかの方が近かったでしょうし、そのような表現になったのかと思います。

やっぱり、「 信じる 」という行動には、「 よしっ!」という踏み込みも必要なのかもしれませんね。それは僕の経験から。

おわりに

「 信じる 」ということ。信仰はもとより、全ての対人関係に言えることと思います。

思うようにならない時こそ、しっかりと時間をかけて考えなければいけないことなのかもしれません。生きていく上でとても大事な要素でしょうから。

植松さん、恋愛に例えられていたのもよかったです。

ホレるということです。とても大事な要素。ホレたら負け、とか聞きますが、寂しい考えだなといつも思います。ホレるからこそ能動的にも動けるのでしょう。

動けるっていうのは、それこそが『 おかげ 』なのですからね。そう思います。

朝からありがたい記事を見せていただきました。ありがとうございます。

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 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

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