2017年3月30日木曜日

油断すると氏子から奪ってしまう主導権


こんにちは。宗教家の須賀院崇徳( @TSugain )です。


氏子のペースで氏子が【 気付いていく 】

今日は「 過去が変わること 」、それから気付きの「 主導権 」について書いてみたいと思います。

ご信心をすると過去が変わる

ご信心をすると「 過去が変わる 」と言われます。どうしてでしょうか。

一言で言えば、過去という過ぎ去ってしまった、もうどうすることも出来ないことでも、それをどういうものであるかと見ているのはいよいよ【 自分 】だからです。

だから、過去にあった事共を、良くもあり、悪くも見ている、見ているのは自分と。そう考えるとホントに人間とは勝手なもので、「 これが真実だから 」と言われても、見方一つで過去というものは、どうとでも変わるのかなぁと思ったりしています。

こうやって文章にすると「 な~んだ 」で終わるのですが、囚われているとなかなか難しいのですよね。

ここにお参りされる氏子など、悩んで苦しんでどうしようもないところをやっとの思いでお参りされていますから。

でも、基本は同じ。この氏子らも同じなんだと思います。時間はかかれども同じだと思うのです。過去をどう見ているのかは、いよいよで自分[ わが心 ]ということです。

主導権は氏子。時間をかけて。

ただ、そんなに直接的には言えないですよね。

言葉にしたら、「 過去を辛いと見てるのはあなただから。見方が変われば辛くなくなりますよ 」なんですけれども、そんなおっしゃる通りのことを言われても、「 でも 」「 だって 」終いには「 あなたにはこの苦しみが分からない 」で終わってしまうでしょうし。

人はすぐに改心できるかと言われるとなかなかに難しいように感じます。もちろん自分も含めて。

だから、時間をかけて、氏子のペースで氏子が【 気付いていく 】ということが要ると思うのです。納得していくペース。

本当に時間がかかるのだなぁと最近強く思います。パッと聴いてパッと良くなるなど、なかなかに難しい。

聴かせていただくこちらが先を急いでもいけないし、だから氏子のペースで、氏子のペースに合わせて、前に行きすぎず、一緒に少しずつ前に行けたら良いのだなぁと確認している日々です。

聴かせていただく中に、氏子自身に整理してもらうことが要ります。この主導権をやみくもに奪ってはいけないのだなぁと先日学ばせていただきました。

助けて欲しい氏子は「 整理してほしい 」と感じているはずです。「 助けてください 」ですから。でも、「 整理させてあげる 」んです。

突き放すわけではないので一緒になのですが、肝心なのは自分自身で「 整理する 」ということで、それが大事なんだと。そうでないと心がついていかないことがあるのだなぁと。

おわりに

辛くてしんどければしんどいほど、どうにかしてあげたい、と、油断すると主導権を氏子から奪ってしまっていることがあります。「 私の言うとおりにしなさい 」など典型的ですね。。。

それは氏子にとって良くないことなのだなぁと、気付かせていただいております。

何事も、納得出来なければ、伝わるものも伝わっていかないでしょうから。先を見たら一目瞭然なのですがね。

時間をかけて。いかがでしょうか。

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 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

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