2016年10月7日金曜日

助けてもらった経験のない人に、人を助けることなど出来ない。


こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


助けてもらった経験のない人に、人を助けることなど出来ない。
助けてもらった経験のない人に、人を助けることなど出来ない。

今日は「 してもらったことしか出来ない 」という教えについて、書いてみたいと思います。

してもらったことしか出来ない

よく聞く言葉に……、

親の言うことは聞かないけれど、親のすることは真似する

という言葉がありますが、分かっていても、なかなか出来ないことがありますね。日常でのことです。

それを裏付けるというか、ぐうの音も出ないほどの文章( 本 )の存在を知ったので、ここで紹介させていただきたいと思います。

子どもへのまなざし
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佐々木 正美
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『 子どもへのまなざし 』です。娘の幼稚園で配布されていて、読むことになりました。

「 オオカミ少女 」の話から

なかでも「 オオカミ少女 」の件が衝撃的でした。

それは……、狼に育てられた少女は、狼のように四つ足で歩き、遠吠えもしたそうです。これは、猿では遠吠えまでしないのだそう。なぜか……。

理由は、学習する機能が豊かな人間の子どもだからということ。このことからも分かるように、思いやりのない人というのは、思いやりある人( 親 )に育てられなかった決定的な証拠ということ。

まさに、してもらったことしか出来ないということです。

『 人間が人間らしい子どもに育てられなくなってしまったとしたら、私たち大人が人間らしさを失っているということだと思います。』

「 子どもへのまなざし 」より

人はしてもらったことしか出来ないと、はじめて教えてもらったときは、そんなもんかなぁ、と思っていたのですが、氏子と接する中で、その教えが確信に変わり、僕の中の理解もより明確になっていきました。

親のようにはならないと決めて子育てをしたとしてもうまくはいかない|宗教家の書くブログ 親のようにはならないと決めて子育てをしたとしてもうまくはいかない

考えてもみたら、経験したことがないことを、相手に施そうなんて、到底ムリな話だなぁと思うようになりました。どうやったらいいか分からないですからね。

僕のお役はお取次とりつぎという、カウンセリングのようなことを、毎日毎日しております。参られた氏子の話を、とことん聴いて聴いて聴いて、神様の想いを氏子に伝えるということをしています。

このお取次でも、教祖の教えを知っているから、もしくは、神様の想いを『 活字で 』知っているからでは、伝わらないでしょうし、助かることも難しいのだろうなぁ、と。このことを、日に日に肌で感じているのです。

もっと言うと、お取次で助けられた経験のない人は、お取次で人を助けることが出来ないという、ごくごくシンプルなことが分かってきます。

だから、金光教の教師じゃなくてもいいのです。「私、お取次で助けられました」という、実感が備わっている人なら誰でも、取次助けることが出来るんです。そう思います。

事実、教祖さまの時代では、助けられた人がばんばんと、今度は助ける番になるということになっていましたから。考えてもみたら、これもまたシンプルなことですね。

時代が経ち、金光教にも代を継承する世襲が入って来ました。僕も二代目なのですが、お恥ずかしい話、金光教の教師になるまで、お取次など受けたこと( 経験したこと )がなかったのですね。それで、教師になりました、といっても、あ~これは無理だなぁと思いました。もう、すぐに。

同じ原理で、愛情一つとっても、愛された経験のない人が、わが子を愛そう、わが子なのだから愛せるはず、と思っていても、それは難しいことなのだろうなぁと思います。たとえ、やる気があったとしても。だって、それは経験がないから。

愛するということも、

  • どれくらいの度合いで?
  • どこまで愛したらいいの?
  • どのぐらいの時間で?
  • この場合はどうすればいいの?
  • この状態は、いつまで続くの?
……などなど。未経験なら、途方に暮れてしまいそうです。

それは、自分が親に対して、同じような疑問をぶつけ、真正面から態度で、行動で、親に示してもらってこそ、次にやる番となったときに「 あ~してもらったようにすればいいんだな 」と思えるのではないかと。

してもらったことしか出来ないという教えが、「 オオカミ少女 」の例から、深く理解できたのでした。

おわりに

師に、取次助けていただいたということが、これほどのものなのかと想う、今日この頃です。

思いやりのある子に育てたいのなら、思いやりを持って接するのはもちろんのこと、生活そのものが思いやりに満ちていないと伝わらないということでしょうね。子はすぐ見抜きます。

ホントによ~く見ています。言っていることと、やっていることの違いを、まざまざと。

厳しいですが、窮屈だなぁと思う人は、親になる資格がないのかもしれません。助けられた( 愛された )経験がないから、窮屈に感じるとも思います。助けられた経験がある人からすれば、それほど窮屈ではないようにも思います。

僕は、助けられた経験をもって、子( 氏子 )のために、子を想って、どこまでも言い訳せずに、この命をまっとうする事が何よりの生き甲斐、そう想えるようになりました。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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