2016年10月9日日曜日

自分は能動態?それとも受動態?伝えるためには能動態への変化を。


おはようございます。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。本日11時より教祖様の月例祭です。どなたでもご参拝出来ます(^人^)


自分は能動態?それとも受動態?伝えるためには能動態への変化を。
自分は能動態?それとも受動態?

今日は、ご信心によって能動態になる大切さについて、思うところを書いてみたいと思います。能動態ではなく、「 させられている感 」が難儀の元かと。

まずは、聴く耳をもつために

「天地乃神の道を教える生神金光大神社を立てぬけ、と手厚い信者たちに申しつけよ。金光大神、拝むと言うな。願いを神様にお届けしてあげましょう、と言うがよい。願う信者の心で頼め、と話して聞かせよ。わが心におかげはあり。

時節を待って、そのうち次第に、篤信者たちに、『金光』という名を神から許すようにする」

御伝記『金光大神』P.250より

拝んで助かる道ではないのは、金光教のもっとも大切な部分です。

けれども、おかげがないのに、あれやこれやと、もっともらしい理解ばかり言われても、頭では分かるのですが、ついていく気がしませんね。

どこまでも一人ひとりに、それぞれの現段階があります。伝える側は、その段階を見定める必要があります。

おかげを受けて、少しは聴けるようになったかなぁと思ったら、先ほどの( 神様からの )お知らせのように、『願う信者の心で頼め』を伝えるのです。これが、とても大事になってきます。

大事というか、もうこれなくしては、次( 子や孫 )に伝わるはずがないとも思ってるんです。

言葉にするなら、自分が受動態なのか、それとも能動態なのか、この違いでしょうね。

自分は能動態?それとも受動態?

ここで、自分は能動態なのか、それとも受動態なのかを考えてみます。

おかげを受けるだけの「受動態」として自分が存在し続けるのなら、そこから派生するものは何もないと思います。

おかげを享受する対象( ここでは神様ではなくて目に見える取次者とりつぎしゃ[ 僕のお役です ]のこと )があるわけですから、取次者に向かわないとおかげにならない、ということになってしまいますね。あくまで受ける側です。

一方で、自らが取次者にお育てをいただいて「能動態」として存在することが叶えば、自分を起点として、周りの人におかげが現れてくるということになるのです。

金光教では、ココ( お育てをいただいて能動態になること)を、一番大切にしています。と、僕は思っています。

一番大切にしているのですが、実際にはなかなか難しいですね。能動態になる必要性を見出だせない信者が、多いのが実際ですし。これは信者の問題というより、能動態になる必要性その意識に欠ける取次者の問題ですね。

特に、取次者としてお徳が高く、取次者自身が強烈な能動態として働きを現す教会は、そこにまつわる信者が受動態の段階で止まる場合が多いのではないかと。悲しいかな、ここに継承の難しさがあると思うのです。

この部分を、最近よく想います。なぜそこまで思うかと言えば「 ご信心 」は伝わってナンボ、と思うからですね。そして助けて助かるという要素が多分にある。親にかかって( 助けていただいて )、子にかかって( 助けさせていただいて )あいよかけよで立ち行く、ということです。

ですが、冒頭にも触れたように、信者( 子 )に聴く耳がなかったら……、言っても意味がない、ならまだしも、段階を見誤り、ご信心自体を窮屈に感じさせてしまい受動態になる必要性を感じることもなく、ついには嫌気がさし、教会から離れてしまう場合だってありますので。

その言うタイミングも、一人ひとり、まずは僕が神様に願って、それぞれの現段階を見定めさせていただかないとならないということですね。

ですからもう、一人ひとりなんです。

おわりに


  1. ご信心でおかげを受けて(受動態
  2. 難儀な氏子に向かっていく(能動態

これをもって助かると、僕は思っています。

みな、例外なく、神様の氏子なんだから、このシステム( 人間知 )に、そんなに違いはないと心底思っています。ごくごくシンプルに。

「 いや、俺は違うね。自分のためだけに自分の人生を生きるんだ 」という人は、今、その段階としか言いようがないのかなぁ、とも。

それはそれとして受け止めて、ご縁あれば接しさせていただきたく思います。

目指すべきは、『願う信者の心で頼め』ですね。

ここまで来たら、心、姿勢( 神様への向かい方 )が、荒削りとも出来上がっているわけですから、多少上手くいかないことがあっても、おかげを受ける筋道が分かっているでしょうからね。途方に暮れることもないのかと思います。

いかがでしょうか。

良かったら、こちらもどうぞ。

能動的自己洗脳( 暗示 )|心の土を耕すことについて|宗教家の書くブログ 能動的自己洗脳( 暗示 )|心の土を耕すことについて

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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