2016年9月18日日曜日

インタラクティブな救済を目指して|教師・信者の線引きの意識を曖昧に


こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


インタラクティブな救済を目指して|教師・信者の線引きの意識を曖昧に
何事もインタラクティブに。

今日は、それぞれの立ち場・立ち位置があるかとは思いますが、その線引きの意識を曖昧にした方が発展するのではということについて書いてみたいと思います。インタラクティブという言葉を用いて。

インタラクティブ

最近「インタラクティブ」という言葉をよく目にするようになりました。意味は「双方向」だとか「対話」という意味もあるようです。

この考え方を見聞きして、あらためて相互作用のあり方が望ましく、それぞれの関係性の線引きを曖昧にした方がオモシロイ( 発展する )と感じるようになりました。

それぞれの立ち位置をハッキリさせるということは、責任とか自覚を促す意味では良いことだとは思いますが、そこからは何も生まれなくなってしまう( 発展しない )というものです。

提供する側、提供される側として確率してしまうと、という話です。

金光教ではどうでしょうか

ここで、金光教でもそのような面があるのではないかなぁと思うようになりました。というのも、金光教には教師がいて、参られる氏子( 信者 )がいて、立ち位置が確立されているんです。

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言うなれば、あなた先生、わたし信者。あなた助ける人、わたし助けてもらう人。

僕もご縁をいただいて金光教の教師にならしていただき、今年早いもので7年目を迎えております。

だんだんとですね、違うんじゃないかなぁと思うようになりました。教師、信者の線引きが。もっと曖昧でいいような気がしてならないのです。

今でこそ金光教の教会も全国に1,500以上もの数を有しておりますが、それだって一人ひとりが助けられ、そうして手続きをもってのことです。

それぞれがご信心に触れ覚醒して「 わたしも教師に 」と志す人がわんさか出てきていたからこそ、立教から昭和40年代までの110年ほどの間でジワリジワリと教師が増え、教会が増えていったということです。

はじめは、教師( 取次者とりつぎしゃ )と氏子の関係は今と変わらないのですが、その氏子が助けられて取次者とりつぎしゃを目指すという結果になるわけですから、ある意味双方向で、線引きが今より緩やかだったんではないかなぁと思うのです。

よく勘違いされることなのですが、教師も人間です。はじめは難儀な氏子なわけです。そこをおかげいただいて取次させてもらっているまでのことですから、この話を氏子にすると驚かれるんですね。「 先生でもそんな風に思われるんですね 」と。思いますよ。元々難儀な性格( クセ )なのですから。

この氏子の言葉が象徴するように、教師というよりは氏子側にその線引きの意識が確立されていったように思います。そしてその意識はどちらかというと不必要な意識のように思っています。

教祖さまは、『親にかかり子にかかりあいよかけよで立ち行き』と教えてくださっています。落ち着いて考えたらアタリマエなのですが、子の立場で親に関わって、親の立場で子に関わって、本来それは同時進行なわけですから、まさにインタラクティブです。

子から学ぶことも多いですし。

教師と信者と言えども、もっと線引きを曖昧に。もっとインタラクティブに神様を軸に関わっていけたらよいなぁと考えております。お結界けっかい( 助かり[神様のお働き]が生まれる場所・僕が日常座っている場所です )という場は死守しつつ。

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おわりに

「 インタラクティブ 」と言われる人たちの活動が、とても魅力的で、楽しそうだなぁと思っています。イキイキしていると。

そして、「一緒に」という言葉もチラホラ出てきていて、それもまたいいなぁと思っています。

それもこれも、僕が今、神様であり師匠( 取次者 )であり、しっかりとした芯を抱いているから「 インタラクティブ 」にとも言えるのかと、そんなことも思っています。

追記( 2016.9.22 )

9/22、秋分の日の今日、「 秋のみたま祭り 」を万事のお繰り合わせをいただいて無事に仕えさせていただきました。

( 朝から雨、テンションは低かったのですが心中祈念をしていたら神様から『 ねぎらってやれ 』のお言葉。信者へもそれから僕の魂にも労いの言葉をかけさせていただきました「 雨の中ようお参りでした 」と。そうして喜ばせていただいていたらみなが帰る頃雨が上がっていたそうです。その後しばらくしてから再び降り始めました。神様が止めてくださった、信者それぞれ帰りに傘要らずで喜ばれてました。ありがたい。 )


インタラクティブな救済を目指して|教師・信者の線引きの意識を曖昧に
秋季霊大祭を仕えせていただきました。祭典前のご神前風景。

そのお祭りの中で「 インタラクティブ( 教師・信者の線引き ) 」の話をさせていただきました。おはなしは最近この教会ではめずらしい、人のお役にと「 話を聴かせていただきたい 」と願い出られた氏子。

先生( 僕のことです )と( 難儀な )氏子に挟まれててんやわんやな毎日ですが、ありがたいと、そういう話でした。

お話を聞かせていただいてあらたに思ったことは、『 覚悟を決めると次の問いが見つかる 』ということ。話を聴かせていただきたいと覚悟を決めたら、じゃあどうやって聴けばいいの?と新たな問いが生まれるのだと思いました。

これが生き甲斐になる。そう確信したお祭りでした。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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