2016年8月17日水曜日

「 壮大な問い 」は自分にとって " 居心地が良い場所 " にはあまり落ちていない|キンコン西野さんのビジネス書「 魔法のコンパス 道なき道の歩き方 」より


こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


「 壮大な問い 」は自分にとって
壮大な問い」は自分にとって " 居心地が良い場所 " にはあまり落ちていない

今日は" 居心地が良い場所 " について書いてみたいと思います。

ドキドキする言葉

一冊の本を注文させていただきました。あまり買い物をしないわたしにとっては、それは大きな決断のことでありましたが、とにかく興味が湧いてしまって。迷いながらもエイっと買わせていただきました。

それは、キングコング西野さんのビジネス書「魔法のコンパス 道なき道の歩き方」

魔法のコンパス 道なき道の歩き方
西野 亮廣
主婦と生活社
売り上げランキング: 92

ある方のブログで、本の内容が一部紹介されていました。その言葉にすごくドキドキしました。自分のこれまでの選択が走馬灯のように頭のなかを駆け巡り良かったんだと純粋に思えたのです。

壮大な問い」は自分にとって " 居心地が良い場所 " にはあまり落ちていない。

(中略)1876年にアメリカのグラハム・ベルが電話を発明しちゃったから、「遠くにいる人と会話をすることはできないの?」という問いはもう生まれない。

つまり、人生を賭けるほどの「問い」を見つけるためには、居心地の悪い場所に立つ必要がある、というか居心地の悪い場所に立ったほうが「問い」が見つかりやすい。

キンコン西野のビジネス書がおもしろすぎる!魔法のコンパス感想(はなうた横丁)

もう、すごく腹落ちしたというか、西野さんの言葉を借りれば、ドキドキしました。「壮大な問い」っていう言葉に。

先ほどの良かったんだと思ったのも、これまでの自身の選択が良かったのかなぁと心のどこかで思っていたからなのかともあらためて思わせていただきました。

ご信心にこそある「 壮大な問い 」

ご信心こそ特に「壮大な問い」の連続と言えると思います。たとえば……

  • わたしって何者?
  • 命ってなあに?
  • なんで死んだらダメなの?
  • 神様って?
  • 死にたいんだけど何で死んだらダメなの?
  • 消えたいんだけどこの想いはいけないこと?
  • 何か人と違うような気がするのだけれど?
  • この人を殺したい想いはさすがに良くないよね?

などなど……

これらに、定型文のような答えはありません。こうしたら良くなる、気にならなくなるという模範解答が無いんです。信頼関係を築くことでしか言葉も何も届きませんから。

新しい人と触れ合えばまた一からなのですから。長年触れ合っている人でもまた一からやり直しがあったり。まさに「壮大な問い」です。

ここで、師は助かったどうかで決まると言います。

本当の取次かどうかは、人が助かったかどうかです。

※わたしの助かりの理解:信心が熱を帯びて続いていく様 人助けの氏子へ( 人助け集団へ )、そこまでなってはじめて助かったと言える。

人が助かった取次であれば、それは真の取次です。

人が助からなかったら、それは取次ではありません。

師の教え

どんな言葉がけであれ、どんな思いがけであれ、どんな祈りがけであれ、助からねばそれは取次ではないということ。結果が全てを決めると仰られた。

凄くシンプルで、こちらもドキドキしました。武者震いといったほうがいいかもしれません。少しの怖さとともに感動したのを覚えています。

で、この「壮大な問い」を求めるためにはやはり、" 居心地が良い場所 "では感じられないのかと、再認識させていただいたのです。先の言葉から。

わたしは教会の二代目として現在、武蔵小杉教会二代教会長のお役をいただいています。わたしが思う" 居心地が良い場所 "とは、先代のやってきたとおりにすることだと思っていました。

先代の進めてきたとおりに、言われたとおりに、形やしきたりや流れをそのまま何も変えずに、そうすればこれまで参ってきていた信者も安心、先代も安心、そしてわたしはわたしで問いつめらることもナシ、あ~メデタシメデタシなのですが…。

いったい、ここに「壮大な問い」はあるの?「 これでいいのか 」という想いだけがわたしの心を埋め尽くしておりましたので。偉そうですが、そのままを受け継ぐということが、それはそれで、やっぱりわたしの中では疑問でしかなかったのですね。

それを思いつきのような感性で、また何の保証もないままに、わたしは「 何か違うなぁ 」という理由一つに身を委ねてこの" 居心地が良い場所 "を飛び出して、円も縁もない師のもとを訪れ弟子入りを志願した次第です。( まぁそうするしかほかなかったのは確かですが…… )

代替わり時に生じるマサツ|師が変わればなおさらのこと|宗教家の書くブログ 代替わり時に生じるマサツ|師が変わればなおさらのこと

ある氏子からはハッキリと言われました。「 ここはあなたが築いた教会ではない。あなたが築いた教会なら好きにすればいい。ただあなたは二代目なのだから二代目としての自覚を持ってください 」云々。とにかくごもっともでした。

けれども、先代の後をそのままというその選択をしたとて、わたしの中に「壮大な問い」が生まれる気配がなかった。そして、いったい何のためにわたしは教師になったのか?わたしのいる意味は?そんなんでわたしは何をすればいいの?こんな具合いでしたから、氏子の話を聴く以前のことでありました、正直な所。

教会長にならせていただき一年半を越え、だんだんと馴染んできた感もあり、何よりわたしの心が落ち着いてきました。でも今考えてみても" 居心地が良い場所 "を「 飛び出して 」良かったなぁと心の底から思っています。

そしてそして冒頭の言葉が、これまでのわたしの行動の背中をあらためて押してくれたように感じたのです。

おわりに

キングコングの西野さん、わたしもブログ、Facebook、twitterを一生懸命やるようになって知ることになりました。すぐひっかかります。

はねるのトびらも見てました。西野さんは仕切り役でしたから目立たない人だなぁという印象でしたが、すべてはネットから知るはねるのトびら以後の色々な活動、それからその行動にいたった考えを見聞きするうちに、とても考え方が良いなぁと思ってよく記事等読ませてもらっています。

そんなこんなで今回の本、買ってみました。今から読むのが楽しみです。読み終えたらまたこのブログででも感想を書いてみたいと思います。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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