2016年7月3日日曜日

苦しいと感じるときは物事を一面性で見ているから


こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


苦しいと感じるときは物事を一面性で見ているから
ただのマグカップ。見方を変えるといろいろな面が。

今日は「 思い分け 」について書いてみたいと思います。

二( 多 )面性で見る

まず、起こり来る現実って必ず二( 多 )面性があると思っていて、たとえば一つのマグカップがあったとして、そのマグカップの見る方向を変えると受ける印象が違ってくることがあると思っています。

で、これ、世の中すべてがそうだと思うんですよね。気になる人は気になるし、気にならない人は気にならないということです。アタリマエですが。

アタリマエなんですが、それをあたかも真実は一つと言わんばかりに、一面性だけで物事を判断してしまう場合があります。危険性しか感じません。偏っている様です。先ほどのたとえで言ったら「 これはマグカップ、ハイ終わり次 」のように。

神様にお願いしながら違う見方を模索する

たとえを変えますが、教会にお参りされている氏子で、よく年配の方が言われることがあるのですが、

もう少し早くご信心が分かれば( ご信心の大切さに気付けば )良かったのに。

何人からも聞いたので心からの言葉、本心なんだろうなぁとは思います。80才のおばあちゃんならあとどのくらい生きられるのかとか、この80年間生きてきて何でもっと早くに気付けなかったのだろうか、と。

ここでは過去で見ています。悔やんでいるのですから。それを、過去で見たり、現実で見たり、先で見たりと、少なくとも三面性で見ることが出来ます。まぁどうとでも取れるということです。おばあちゃんの言葉も否定しません。そう感じるのは実際ですし。でも一面性に囚われているとおばあちゃんの言葉だけで先がありませんし、それから悔やんでいるだけでは元気もなくなってくると思うんです。

わたしは決まって言います。「死ぬ前に気付けて良かったですね」と。おばあちゃんもハッとされます。そうして「命あるからだ」と思い返すことが出来るということです。

起こりうることの見方一つで、心持ちが変わってくることがあるという真実です。

わたしはこれをご信心をさせていただき繰り返し、繰り返し教えていただくようになりました。教内では「 思い分け 」と言われています。

もし事故でケガをしたとき、大難を小難に祀り変えていただいてという教えからくる表現がありますが、神様のお働きをもってここまでのケガにとどめてくださったという、ケガの事実に対しての二面性のことです。

極論で言えば、命あるかぎり言い続けられます。けれども神様を掴んでいなかったらすぐさま周りと比較しだして根負けしてくると思いますね。「 何でオレだけこんな目にばっかり遭うんだ 」と。

大抵生き詰まっているとき悩み苦しんでいるときって一面性で見ているときだと思います。

一面性でみることも、うまく行っているときはいいんです。言うことありません。ただ……ひとたび上手くいかなかくなった、もしくはそう感じてしまった場合のことですよね。人生何十年も生きていたら上手くいくときもあればいかないときも当然あると思いますので。

「 気にならなくなるおかげ 」について|その方法!|宗教家の書くブログ 「 気にならなくなるおかげ 」について|その方法!

おわりに

あらためて、苦しいと感じるときは物事を一面性で見ているということを気をつけていかれたら良いかと思います。

二(多)面性で!と言われても一面性で見てしまうときがあるんですよね。

わが身はわが自由にならないものである。

教祖さまのみ教え

人間はわが身がわが自由にならない存在ですから。そう思うとご信心で神様と繋がっておくということも、とても大切なことです。

「 思い分け 」、物事の考え方について書いてみました。いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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