2016年7月27日水曜日

おはなし中の涙から想うこと


こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


おはなし中の涙から想うこと
覚悟の奥にある恐怖……

今日は「 涙 」について書いてみたいと思います。

覚悟の奥にある恐怖

先日、あるご家庭のお祭り( 例年祭:仏教で言う法事 )があって、祭典後におはなしをさせていただきました。

そのときおもいっきり泣いてしまったのです。もうヒクヒクと。

これまで「 グッ 」とくることはあっても、あそこまで涙するということはありませんでした。おはなしのあと天地書附てんちかきつけという短いご祈念があるのですが、それも、声が上ずってしまい先唱するわたしの言葉が出ずに、参拝されていた氏子も面食らっていたと思います。

なぜそこまで涙したか。それは、わたしが教会長として歴任させていただいて、表立ってあらためてその氏子の歴史を知り、その氏子のことを何があっても受け止めていくと覚悟を決めたときに、何と言いますか、覚悟の奥にある恐怖、奥底から溢れるような怖さに身震いしたことからのことと思います。もうそれはそれは気持ちが高ぶっていました。バタバタしておりました。

話し手の涙

以前、ある方から話し手が泣いたらおしまい、という言葉を聞きました。それは泣いてしまったらもうおはなしにならないということと、その涙に引っ張られて内容云々のことではなくなってしまうことからかと理解しています。

そういう意味では反省しました。もっと普段からの構えをシッカリとして、バタバタしない姿を提示していけたらいいなぁと思わせていただきました。

信念や覚悟も無い袖は振れない|宗教家の書くブログ 信念や覚悟も無い袖は振れない

ですが、その反面、涙するということは、受け手の印象には確実に残るとは今でも思っています。狙ってするのはどうかと思いますが……

一つ思い出しました。小学校6年生の卒業式の日、最後の学級会の場で担任の先生が卒業生へ贈る言葉を読んだのですが、途中から感極まって読めなくなってしまいました。当時学級員だったか忘れましたが、代読者にわたしが選ばれて、その先生の贈る言葉をクラスメイトに向けて読んだことがありました。

このときの贈る言葉の内容はまったく覚えておりません。ですが、あの先生が涙した( 担任の先生は、あまり涙する印象ではなくどちらかというと怖い印象でした )その記憶だけが強烈に、今でも残っていて、よっぽどの事だったんだなぁと思わされました。そう考えると涙するということも「 伝える 」という面では意味があるものだなぁと、思ってもいます。

繰り返しますが、狙ってはどうかと思います。演技になっては当然いけないですし、道理を聞いてもらうという点ではやっぱり冷静に淡々とおはなし出来たら、おはなししたいなぁと心新たに思いました。

おわりに

ある先生の言葉です。

( 人によっては )神様や信心をとうとうと説明され、こう思いなさいと言われるより、うなずき一つ涙一滴の方がずっと意味があるように思います。

ある金光教教師の言葉

また今回のことを師にお届けしては次のように言葉いただきました。

信心辛抱しながら、神様の人助けにお使いいただくばかりであります。

師の言葉

今回のことを通して、様々に考えさせていただきました。ここから、また精進させていただきたく思います。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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