2016年7月2日土曜日

代替わり時に生じるマサツ|師が変わればなおさらのこと


こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


代替わり時に生じるマサツ|師が変わればなおさらのこと
代替わりで生じる摩擦、また師が変わればその摩擦も大きくなる

今日は代替わりから早いもので一年半が経つわけですが、あらためて「 師が変わることで形が変わることがある 」について書いてみます。

比較

何かをはじめるとき、今までの形を変えようとしてしまうとき、当然ですが前任者と比較されてしまうときがありますね。そしてその声につられて自分も比較しはじめる。はい。

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わたしはこの教会の二代目として跡目を継いだわけですが、初代と比較され続けました。当然です。わたしが始めたわけでもありませんし。今目の前にいる氏子も、神参りしているとはいえ、取次者とりつぎしゃである先代(父)もしくはその師である祖父を慕ってお参りしはじめた方たちばかりですから。

先代と同じように、まったく同じように、トレースするように行動していればここまで周りからの声があがることもなかったですし、わたしも思い悩むこともなかったと思います。まぁそのままにしていたらどうなっていたのかは実際のところは分かりませんが。

「 先生(わたしのことです)は初代ではないのだから…… 」「 先生が初代なら好きな様になさったらいい 」「 二代目の自覚を持ってください 」

もうなんか、良かれと思ってやっていることが、あたかも悪いことをしているかのように感じるときもありました。二代目の宿命なのでしょうか。三代目だともう少し違った雰囲気なんですかね。う~ん。

では、なぜ?

では、なぜそうまでして形を変えたのか……。少し考えたら反発が起こるであろうことをあえてなぜしようとしたのか。それは、父とわたしではそもそも助けられ方が違ったからと理解しています。

分かりやすく言うと、お取次とりつぎをいただいた人ですね。師です。父は祖父でした。わたしは師匠になるわけです。この時点で流れが変わるわけです。どうしたって。

弟子は師に染まるのでしょう。父は祖父にソックリだと母は言います。そしてわたしは師を模倣し始めました。師に「 形を変えなさい 」なんて言われたことは一度たりともありません。( 言われたかなぁ……まぁ言われたとしても )わたしが変えたくなっているのです。もちろん「 形 」の大切さは懇々と教え諭していただきましたが…。

わたしは師のお広前、その静寂な、なんとも言えない厳かなお広前で助けられた。だから、その取次者( 師 )が大切にされているスタイル( お広前 )で助けられたからこそ、アタリマエのようにそうしたい( 真似したい )んだろうなぁと俯瞰的に見ても、そう思います。

ここ最近、取捨選択のことについても考えています。取捨選択をしているのは自分。その自分はどうなんだ、と師に照り返していただいて、良いところどりをしていたわたしの性根を根っこから変えていただきました。

それからは、理解し納得する所も、それから理解できずに納得出来ない所も( ここがめちゃくちゃに重要で、なかなか理解し難いところではないでしょうか。なぜなら分かってないんですからね )、覚悟を持って受けていくその覚悟をしました。

それでもなお抗うときがあります。でも飛び込んだ。飛び込んでしまった。自分なりに考えて飛び込んだ感はあります。この選択はわたしがしました。させていただいたとも思える。

そして飛び込む選択をした際( この人を師と仰ごうと決意した際 )、全部理解出来てたかは不明です。おそらく出来てません。奥の方が分かってませんから。知ろうとて無理な話です。それが自分ですから。でもかけてみたいと思った。そう思えた。

おかげさまで、わたしの心は次第に落ち着き、徐々に教会の内装も少しずつ変わり、言葉は悪いですが、ガチャガチャした広前からスーッとした広前へと変わり始めています。

ここからまた一つひとつおかげいただき、目標としては、はじめてお参りされた氏子が説明不要でこうべが垂れるお広前にしたいなぁとは思っています。( 金光教は拝む目当てが書き附けですから、はじめて来た人は「 これ、神様ですか? 」とよく言います。神様は天地全体にいらっしゃる、この書き附けはあくまで拝む目当てです……と。この説明ですね^^ )

おわりに

落ち着いて考えたら不老不死の人間など存在せず、何かが始まってそれを存続させたいなら誰かが継いでいかなければいけないことは自明の理なわけです。

でも、代が継がれて、時代の変遷もありますし、多少なりとも形が変わることは、これもまた自然なことかと。師が変わればなおさらのことですね。

そうとして今までのスタイルで慣れている人はやはり抵抗がありますからね。師からも、大切なところは大切にし、かつなるたけ抵抗がないように行動するのも心配りこころくばりではないでしょうか、と教えていただいております。

だからこそ、一つひとつにお取次いただき一つひとつにおかげをいただいてまいりました。結果、氏子の間にも馴染んできたような感もあります。時間が解決してくださることもあります。時節ですね。

今日は代替わりで生じる摩擦、また師が変わればその摩擦も大きくなるということについて書いてみました。どの分野にも同じことはあるのではと拝察します。いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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