2016年6月21日火曜日

【 動画 】『 オトナの学校完全版 武井壮 』を観て


おはようございます。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


【 動画 】オトナの学校完全版 武井壮を観て
百獣の王でも眠っていたら……

また動画を観ました。

オトナの学校完全版 武井壮』( 29分20秒 )

めちゃくちゃ面白かったです。すごく納得も出来ましたし、純粋にこういうことがやりたいんだなぁと想いました。

伝えたい・まとめたいと思って検索したら、テキストにしてくださっている方がいらっしゃいましたので、そちらのリンクも。。

【テキスト付き】武井壮さん「オトナの学校」オトナの育て方の動画をご紹介。人や物の価値を高めるには、人が求める数を増やすことが大事。【 外部リンク 】 【テキスト付き】武井壮さん「オトナの学校」オトナの育て方の動画をご紹介。人や物の価値を高めるには、人が求める数を増やすことが大事。

以下は、宗教家としての僕が動画を観て感じたことです。

密接な関係

まず、武井壮さんと、僕が日常で行っていること( 修行 )がリンクしました。武井壮さんはスポーツ、それから芸能に転じて、「価値とは?」を求めていかれることになるのですが、そこに至るまでの理論がすごくて、それが、今僕がしている御用( 修行・お取次もそう )に密接に関わっているなぁと思えたのです。

僕は朝から晩まで同じ所、お結界けっかいというところに座っています。端から見たら引きこもりです。神様の前立ちとして、それこそ門番のように神様の前に座り続けています。ある意味、日々練習しているわけですね。感覚を磨くことを。感性を磨くことを。

動画の中では野球選手がホームランを打つために素振りやトレーニングをするけれども……という喩えが使われていましたが、僕の中での「 ホームラン 」は「 人が助かる 」ことだなぁと直結しました。

で、武井壮さんが仰られていたのは、ホームランを毎回打ちたいのに打てない。経験者( プロ・専門家 )に聴いても明確な答えが返ってこない。「 あの人( ホームランバッター )でもこれぐらいなのだから、まぁ確率を上げるためには練習あるのみだな 」なんてまったく納得出来ない説明をされたと。そんな打てるか打てないか分かんないギャンブルみたいなことに、この先自分の人生の10年以上もの時間を費やすのか、と心許なく感じられたと動画で仰られております。

まさにそれ!

そして、今までの金光教内が、まさにそれだと思いました。人助けですからね、そんな一筋縄ではいかないことは容易に想像できることなのですが、ホームランを打つように「 毎回人を助けたい 」と思っていた僕の心にすごくこの動画( 理論・考え方 )がヒットしたのです。

金光教内の先輩たちの言葉はこうでした。さきほどのホームランの喩えでのプロや専門家の返答と同じように「 助かるか助からないか分からないけれどその確率をあげるためのな、そのための日々稽古しかないね 」そのような感じ、そこまで明確には言葉にされていませんが、そんな雰囲気でした。少なくとも僕が感じた上でのことですが。自信がないのか何なのか。

「 人が助かるか助からないか 」って……、人一人の命かかってますから。そんなんでいいのかよ、と内心思っていたのです。

唯一でしょうか、師が応えてくれました。ある日のお取次での師の言葉です。

( 前略 )本当の取次かどうかは、人が助かったかどうかです。

※わたしの助かりの理解は、信心が熱を帯びて続いていく様 人助けの氏子へ( 人助け集団 )[須賀院崇徳追記]

人が助かった取次であれば、それは真の取次です。人が助からなかったらそれは取次ではありません

決めるのは、事実です。すべては結果です。

実をあげることができないものが、偉そうに金光大神気取りするのはやめなければなりません。実をあげることができないのは、学ぶことがないからです。取次の業に必要な「 学び 」がないからです。

それがない中で、いくらお結界に座ったところで、教習所に通うこともなく、中学生が粋がって車を運転するようなものです。

大事故にならないはずがない。交通法規も学ばずに、運転技術も学ばずに、ただハンドルとアクセルとブレーキだけで、それだけで運転できると思い込んでいる子どもと同じです。テレビゲームです。

教習を受けて、学び、その上で仮免許練習中の札をつけて、助手席に乗ってもらって、そうやって学ぶんです。でなければ、無責任ですよ。

まずはひとりで運転してみろって言っても、最初で最後のつもりで神様が氏子を引き寄せているのに、ただの実験台なのですから。それで学べるというのは、大間違いです。間違いがあっても、その間違いにすら気付くことはできないのです。絶対にできません。

自分の足りないところが見えると思ったら、大間違いです。自己チェックなど、所詮は遊びです。自己チェックすらも、まともにできない者が、プロとしてお結界に座って、金光大神気取りで御用している風貌だけ見せるというのは……( 後略 )

師の教え

おわりに

金光教祖様は「人が助かりさえすればそれで結構です」と仰られました。手法ではない。創意工夫が必要とも。

武井壮さんの動画の言葉を借りるなら、「人の価値・商品の価値っていうのは、そのクオリティじゃないんですね。」「日本一のクオリティを保っているのにもかかわらず、1円も稼げなかった僕が一番感じたことであり、真実じゃないかなと思う」ということです。

たとえば僕が日本一の宗教家( クオリティ )になったとしても価値( 人の助かり )が伴わなければ意味のないことと確信しました。やりたいこととは違うなぁと。

じゃあこの先何をすれば良いかと問えば、これまでと変わらずに座り続けるのですが、その座り方が大切かと。どのような信心で座るのかということですね。

もちろん金光教内の諸先輩方全部が全部ではなくて、当然のことのように気付かれ求めていかれている方もいらっしゃるのかもしれませんが、僕自身こういう話を聞いたことがなかったものですから。

僕はこの動画を通して、さらにこのことに気付き始め、何がやりたいかと問えばそれ( 価値のあること )がやりたいことだなぁと、いただいた命でしてみたいことだなぁとあらためて思いました。

ある熱い動画を観て感じたまま書いてみました。いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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