2016年6月22日水曜日

とことん理解しようとしてくださる存在に出会えてわたしの心は変わった


こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


とことん理解しようとしてくださる存在に出会えてわたしの心は変わった
ゴチャゴチャを一つひとつ解くように根気よく。

今日は「 分かってくれている 」、その存在に出会えてわたしの心がどう変わっていったかについて書いてみます。

とことん理解しようとしてくださる存在

「 分かってくれている 」わたしはこれははじめて、本当に産まれてはじめてに感じました。

今では熱も落ち着き、とてもマイルドになって、いよいよは他人、親子だろうが、兄弟だろうが、夫婦だろうが、「 分かる 」ということはないのだろうなぁと感じられております。

でもですね……数年前の、疑心暗鬼に満ちていたわたしは「 人のことなど分かるはずがない 」と思っていたことはいたのですが、何か今とは違う感じでした。

それが、わたしのことを「とことん理解しようとしてくださる存在」に出会ってから、わたしのカチカチの心が溶け、「 ( 人のことが )分かる 」の理解が変わっていったのです。そう思っています。

経験してはじめて

とことん理解しようとしてくださる存在

時間をかけ、時間をかけ。いよいよこれが究極に大切だなぁと個人的に思っています。誰もに。

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少し悟りもしました。悟るというのは冒頭にも書いたように「 あなたのことは分かった 」と言い切れる人はこの世には存在しない。存在し得ない。もっと言えば自分ですら自分が分からないから自分が自分に対してとことん理解しようとする存在にならないと……もう迷宮入りのようですが^^ それが理解できたんですね。

けれどもですね、疑心暗鬼のあの日々は、それが理解できなかったのです。だから悶々としていました。

「 なんで分かってくれないの 」から「 どうせ俺のことなんか分からない 」「 お前に何が分かるの 」というスタンスでした。同じなんです。分からないという点においては同じなんです。でも違うんです。

ある先生がこう言ってました。聞いた瞬間、分かってくれているを経験した後でしたので、すぐに、あ~そうだなぁと理解できました。腑に落ちました。それは……

人を信じられるようになって、はじめて人間なんて信用しないと言えた

ある教師の言葉

と。「 分かってくれている 」を経験してはじめて思えることということかと思います。

おわりに

自分の理解が深まっていないと、理解すら出来ないということですね。真理、道理、これはもうそういうものだということです。

「 分かってくれた 」と感じることが出来てはじめて「 人は他人のことは分からないんだ 」とはじめて言えるし。そう考えると、「 分かる・分からない 」がそもそも分かってなかったんだろうなぁと気付かされます。

何をもって分かるのか、どういう状態を持って分かると言えるのか、分かってもらえていると言えるのか。それもこれもわたし[ あなた ]の感覚のことではあるのですが、おかげは和賀心わがこころにありの教えの通り、今わたしの心はそう感じられているからとても穏やかなんです。穏やかな心。もうそれがすべてを物語っていますね。

経験した人にしか分かり得ない世界が確かにあると思います。で、重要なのがそのことを経験しないと親子関係[ 人間関係 ]もうまくいかないということが、わたしだけの話ではなくて誰もに当てはまることだから、こうやってブログにして書いてでも伝えたいのだなぁと思うのです。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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