2016年6月4日土曜日

畏まるというより敬意を|排泄という生理現象と同じようなこと。分かれば自然と畏まる


おはようございます。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


畏まるというより敬意を|排泄という生理現象と同じようなこと。分かれば自然と畏まる
走って来て用を足してしまう時のうれしさは、言うに言えない

金光教にはお教会がありお広前ひろまえがあり、その中にお結界けっかいという場所があり、そこで参られた方の話をとことん聴かせていただきます。そこから宗教学者の間では金光教のことを『 カウンセリング宗教 』などとも言われているそうです。

今日はその金光教のお教会・お広前、特にお結界について。

山の中のわら雪隠せっちん

お結界を畏まる人がいます。

畏まって適切な使い方が出来たら良いのですが、畏まりすぎて( 表現が違うかもしれませんが…… )、

  • お結界はお礼をいう場所だ
  • 私の悩みなど言うまでもなくご存知なのだから言わなくてもいいのだ

などと言われる古参の氏子がいます。実に多い……。

はたして、そうなのでしょうか。わたしはそうは思いません。おそらく教祖さまもそう思っていなかったはず。

教祖さまは、つぎのように教えてくださっています。

お道は、ちょうど山の中のわら雪隠せっちん(わらで囲った便所)のようなものである。人がくそをしようと走って来て用を足してしまう時のうれしさは、言うに言えない。ここへも病人たちが来て、おかげをいただいて喜ぶのである

教祖さまのみ教え

ねっ。いかがでしょうか^^

便所で用を足さない人々

教祖さまの教えの通り、便所です。お教会は便所。便所のような場所ということです。

お教会では神々しく神さまが祀ってあるから……御霊様が祀ってあるから……「 へへ~ 」と頭を下げて、お結界で「 何かありませんか?」と問うても「 いえ大丈夫です 」と応えてしまう。とても大丈夫には見えないけれど、「 大丈夫 」と言われるんです。

これはもう、こちらがまだまだ下がれてないなぁと心から思います。申し訳ないなぁと感じるのです。

便所なのに、便所なのにみな我慢している。我慢させてしまっている。おかげで糞詰まり、尿詰まりで……考えただけでも気分悪いですよね。食欲もなくなると思います。

まずはここからですね。わたしの意識改革としても。わたしが座り続け、ニコニコとさせていただく中で、リラックスして、安心して氏子が用が足せるように、そのようなお教会、お広前、お結界になるようなおかげをいただきたいと切に願っています。

おわりに

よくトイレ掃除を推奨される会社が紹介されますね。大抵が業績が伸びている。やっぱり良い事だと思います。

便所、おトイレ、お手洗い、わたしたちの排泄を受け止めてくださる大切な御場所です。その場所を大切にするということ。これは道理に叶っていると感じます。だから業績だって伸びるのではないでしょうか。

人でもそう。トイレ掃除を良くする人は、心も穏やかになっていくように感じます。

トイレ、畏まる必要はないけれど、そういう意味では敬意を表し、ゆくゆくは手を合わせる対象になるのでは、それはいい意味で畏まることになるのではと、そのように感じています。事実わたしはトイレに手を合わせます。「これから排泄をさせていただきます」と。

おかげをいただくためには理解しておいた方がよいと思うこと|宗教家の書くブログ おかげをいただくためには理解しておいた方がよいと思うこと

いかがでしょうか。

補足

「 神さまはすべてご存知、私の悩みなど言うまでもなくご存知なのだから言わなくてもいいのだ 」の「 神さまはすべてご存知 」に関しては、糞詰まり、尿詰まりで苦しんでいることは神さまもご存知かと思います。

けれども、「 私の悩みなど言うまでもなくご存知なのだから言わなくても 」というのは……用を足さないということにはなりませんか。用を足すのはわたしでありあなたですから。そういうことです。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


メールdeお取次
実際にお取次を受けてみる

BLOGRANKING
投票者になる
投票は1回/日 有効です.
応援ありがとうございます.


シェアしていただけると嬉しいです.