2016年6月6日月曜日

信者という言葉がもつ薄暗いイメージ


おはようございます。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


信者という言葉がもつ薄暗いイメージ①
その対象に惚れに惚れ込んでいく

言葉ってつくづくオモシロイなぁと感じます。言葉の持つイメージについて書いてみたいと思います。

信者という言葉。そのイメージ

「 信者 」という言葉を聞いてどういうイメージをされるでしょうか?

1 ある宗教に対し信仰をもつ者。また、その宗教集団の成員。信徒。
2 ある人物に傾倒して、その言説・思想などを熱心に信奉する人。

信者とは

一方で「 ファン 」とか「 サポーター 」はどうでしょうか?

スポーツや芸能、また選手・チーム・芸能人などの、熱心な支持者や愛好者。ひいき。

ファンとは

支持者。後援者。特に、サッカーで、特定チームの熱狂的ファン。

サポーターとは

ライブ映像を観て「 ゾッ 」と

以前、あるミュージシャンのライブ映像を観ていて、「 ゾッ 」とすることがありました。よく映像の中にファンがミュージシャンに対して熱い眼差しで手を合わせているシーンがあると思いますが、それです。

信者という言葉がもつ薄暗いイメージ②
これ信者じゃないですよ。観客ですからね。

それを見ていて、信者とファンと、それからサポーターも、どう違うのかなぁと考えました。

なぜ考えたかといえば、信者という言葉の持つイメージが悪いからです。信者、ファン、サポーター、どれもがある対象に向かって気持ちを込めているのに、信者という言葉だけは、どこか怖さを秘めているように、そう感じました。

ファンとかサポーターは対象に興味を持ったら割と安心して「 私も 」となりますが、信者は警戒し「 私も 」とはなりにくいですよね。そういうことです。

で、思ったことが「 信じている自分 」を信じるかどうかが重要なのでは……と思いました。その点においては信者でもファンでもサポーターでも、どれもが一緒だろうと。

だから信者の中にも、ファン、サポーターの熱といいますか、そもそもファンやサポーターは対象が好きで好きで仕方なくてそれをしていると思うのです。だからその対象について問われても熱く語れる。

じゃあこれ、信者だと……「 そのうち分かる 」という人も中にはいて。神様を熱く語れない。現状で。その背景には家の宗教が○○教だから……という理由になるのです。それでは伝わるものも伝わらないと心から思いました。

先日の祭典で「 誰もに初代性がいる 」と話しました。初代性とはいわばファンです。サポーターです。その対象に惚れに惚れ込んでいくのですから。そういう気概がいると感じております。

おわりに

端から見て「 狂気 」と思うのはなにも「 信者 」だけではなく、それはファンにも、サポーターにも当てはまります。わたしが「 ゾッ 」としたように。

たとえ、何と言われようと私はこう生きるという「 信じている自分 」を受け入れていくことが、信者、ファン、サポーター云々に関わらず、人にとっては必要なんだろうなぁと思いました( 言うまでもなく既にファンやサポーターは兼ね備えているとは思いますが…… )。

信念や覚悟なのでしょう。信心も伝わってこそと思いましたので。

わたしは金光教のファンです。金光教のサポーターです。

こう言うと、また違った感じがしますね^^まぁ大切なのは言い方ではなくその深意が大事かと思います。そのようなことを思いました。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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