2016年6月20日月曜日

こだわり・囚われ・気になり体調が悪くなる様|わたしの偏りの定義


おはようございます。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


こだわり・囚われ・気になり体調が悪くなる様|わたしの偏りの定義
声高々に「 偏りをなくせ!」と言ったところで……

今日はあらためて「 かたよりり 」について書いてみます。

今まで思っていた偏りについての理解

偏り、と一口に言っても解釈の仕方は人それぞれで……。わたしは教えていただいた通り、「 偏るということは難儀( 苦しみ )の元ですよ 」と度々言わせていただいておりますが、この主張だって受け手にとってみたら「 偏っている 」と取られることもあるなぁ、と。

以前の記事を読んでみても、「 うん、読みようによっては偏っている 」と自分でも感じますね^^;以前の記事はこちら↓

手のひらを上に|偏りをなくせ!|宗教家の書くブログ 手のひらを上に|偏りをなくせ!

今日の今日、今の今想う「 かたより 」についてあらためて書いてみます。

偏りの再定義

偏っている証拠が苦しいという現状・困っているという現状なんです。逆を言えば、苦しんでいるのは偏っているから。これが根底の根底の理解です。

だから苦しんでいなければ偏っていない……と端的に言いたいところなんですが、宗教で例えると世界的には「 戦争 」がありますね。唐突な例ではありますが。

「 私の信じる神はこれだ~ 」と主張をして排他的になり「 お前は騙されている 」と言わんばかりに言葉( 会話による説得 )に飽きたらずに武力行使をしてしまう。これ偏ってますね。でも当人( 一神教で戦争を起こしている当事者 )たちはどうかといえば苦しんでいるのでしょうか。そう思えない場面もあったりして。

まぁ戦争真っ只中ですから心身共に苦しい・追い込まれる場面もあるかもしれませんが「 信じている 」「 私が信じているもの( 神 )は絶対だ 」という一点に置いては曇りがないように感じます。( あくまで個人的にですが )

とすると、周りがどれだけ「 偏っているよ~ 」と言ったところで、「 私は違う 」と言われたらそれまでの事なのかなぁとも想うようになりました。

ただ、周りにいる人たち( 巻き込まれている人たち )は悲劇の何ものでもないですから、お願いしていかないといけませんが。

「 偏り 」……だからこれはもう本人が自覚するしかないのかなぁと思います。

「 なぜ私はこんなにも苦しいんだろう 」と自分の人生、生き方に疑問を持ち、どうにかして楽に生きたいと思われる方に対して「 今の生き方は偏っていますから神様にお願いしながら偏りを整えていただきバランスよく生きることが出来ますように一緒にお願いさせていただきましょうね 」と寄り添えるものなのかなぁと、今朝思いました。

おわりに

ですから、声高々に「 偏りをなくせ!」と言ったところで、「 それでヨシ 」と思っている人( たとえ端から見て苦しんでいようとも )には、伝わらないどころか、むしろ私のことを理解してくれない人として、寄り添おうとしている人( わたしなど )を見てしまうのだろうなと思いました。

これではわたしがやろうとしている「あなたの話を聴きます」と言いながら、もう本末転倒ですからね、こちらが軌道修正していく必要があるなぁと思った次第です。

でもわたしは「 偏りが難儀の元 」という教えがすごく腑に落ちていて( 今でも )、人はこだわるから、囚われるから、気になってしまうから苦しくなるというのは未だに変わらない人が助かっていく( 何事もありがたいなぁと思える状態 )上での大事なエッセンスだと思っています^^これは心にかけながら。。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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