2016年6月19日日曜日

こちらの要望( 願い )とあちらの要望( 認知 )。神様を杖に、その狭間で。


こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


あまりにもこちらが強情でも助からなくなってしまう

今日は「 人の心、想い、感じ方 」について書いてみたいと思います。

基本、相手がどう感じたか、どう想ったかがすべてだと理解しています。たとえそれが誤解だとしても。たとえそれが歪んだ認知だとしても。

まずは探りあい

悩み電話相談( お取次とりつぎを開設してからいろいろな方の話を聴かせていただくようになりました。

まずは探りあいです。何に対して悩んでいるのか( 自覚・無自覚込みで )と同時にわたしはこんな人ですよ、そしてわたしが信心している神様はこんな神様ですよというのを、もうそれはそれは時間をかけてしていくわですが。

人の感じ方も様々であるなぁとあらためて思いますし、こちらの考えが凝り固まっているとなかなかその枠から出られなくなって、何か窮屈感を自分自身感じたりしています。

様々な教えを心にかけて

その中で様々なことを教えていただくのです。これはもう本当に。飛び込まないと分からないことがあります。

けれども、あまりにもこちらが強情でも助からなくなってしまうなぁとも感じたり。そこもバランスなのでしょう。ここで、いろいろと教えていただいていることを想い起します。

  • ありがたい方向へ向かせよう、向かせようはかえって逆効果になる。
  • 無理に引き出させない、相手のペースで。無理にすると後で辛くなる。
  • 正しいことを言うと余計に歪むことも……
  • 氏子が「(言っていることは正しいのだろうけれども)この人全然分かってないなぁ」と取次者を見たらもう参らない。
  • 分かってもらえないっていう感覚はなかなか消えない。
  • 氏子が使う言葉は曖昧なもの。例えば「おかしい」、何をもっておかしいのか、互いの定義をハッキリさせること。( 共通の理解 )

師の言葉

などなど折々に教えていただきながら、いざ当人( 難儀な氏子 )を目の前にするとわたしの思考はポッカリと教えから離れ、気付けば自分の主張ばかりしていたり……

おわりに

これらの教えをあらためて心にかけながら、そうして氏子( 子 )に接しながら、接する中で、一人でも多くの方が神様に、そして先生( この世で唯一信頼出来る存在の一人 )を心に抱けるように、そうなるように、お願いしながら、ですね。

信念や覚悟も無い袖は振れない|宗教家の書くブログ 信念や覚悟も無い袖は振れない

まぁこれはわたしの側の願いですから、相対する氏子の要望も聴きつつですね。そこはバランスよく。イメージとしては水のように。どのような器にも形を変えながら、です。これが理想。そう思っています。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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