2016年6月8日水曜日

何でもやってみたらよい。祈ったら何が起きるのか。祈らなかったら何が起きるのか。


こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


何でもやってみたらよい。祈ったら何が起きるのか。祈らなかったら何が起きるのか。
何でもやってみたらよい。祈ったら…祈らなかったら…何が起きるのか。

今日は「 何でもやってみること 」について書いてみます。

祈りの効果?

学院生時代でしたか、神さまのことが分からない、信心って何?と思っていたわたしは、「 どうすればいいですか 」というお尋ねばかりしていました。( まぁそうするよりほかなかったのですが…… )

そんなわたしに師( のちに師となる先生 )は、次のように教えてくれました。

祈りの効果、やって意味があるのかとか、今日一日ぐらいやらなくてもとかを感じるのです。祈りに対してのおかげを感じるのがむずかしいときがあるのですが……( わたしのお伺い )

――何でもやってみなさい。人に聞くだけが能ではない、練り出す事。いろいろやってみたらよい、何でもやってみたらよい。祈ったら何が起きるのか。祈らなかったら何が起きるのか。確かめてみる、ためす、やってみて。

ある日のお取次 師の言葉

それを聞いたわたしは、正直ガッカリしたのです。

祈りの中のおかげ

それは対応策を教えていただけなかったから。

「 それはね、こうすればいいんだよ 」
「 こう考えたらいいんだよ 」

という明確な答えを期待していたからだろうと思います。

では、あれから6年あまり過ぎた今、どう感じるか……

そこには祈りが込められていたなぁと心底感じます。それからそのままを受け止めてもらった…という感覚

お伺いしたわたしとしては、経験者( 師 )にお尋ねしたという記憶だけに終わっているのですが、尋ねられた取次者( 師 )としては、「 あ~彼はこういうことで悩んでいるのだな。おかげをいただいてほしい。そのためにここから祈らせてもらおう 」と思われ、そのままを受け止め祈り続けてくださったんだろう、とそのことを確信しております。( 直接確認はしておりませんがそう感じるのです^^ )

だから、おかげになった。だから今心からありがたいと思えている。

これらはすべては祈りの中でおかげをいただいているのだなぁとわたし自身が感じるようになった経験です。そういうことがありました。

新しく参られた方から「 これはいい? 」「 あれはダメ? 」と同じようなお尋ねをされます。今度はわたしが師にしてもらったことと同じように、「何でもやってみたらよいですよ」と言わせていただくのですが、それが出来るのも、そのような経験をさせていただいたからに他ならないなぁと、それもまたありがたく感じています。

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おわりに

何でもやってみたらよいですよ」と聞いた氏子のリアクションは様々ですね。

わたしと同じように拍子抜けされる方もいれば、解放されたかのように喜ばれる方もいる。

それから、この何でもにはプラスの願いだけではなく当然マイナスのイメージのことも含まれています。人の死や、自分が助かるために相手にとって良くないことを願うのもこの中に。ただ「 人の死 」に関しては、次のようにお言葉いただいています。

それを氏子が願うのはよいのです。けれども、人の死は、多くの人の思いが錯綜します。だから、家族のうちの一人だけの願いを願うと、( 取次者が )明言してしまうのは……

「 もちろん、いよいよのところは神様の領分なので、神様が良いようにしてくださると信じましょう。その上で、○○さんの想いとして、ありのままのお気持ちを神様に聴いていただいたらよろしいですよ 」

師の教え

一つひとつ教えていただいております。これもいろいろとやってみるの範疇なのでしょう。

今日もいただいた命でお稽古させていただいております。いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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