2016年6月18日土曜日

ただ応援して欲しいだけなのに……|何事も決めきれない人へ


おはようございます。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


ただ応援して欲しいだけなのに……|何事も決めきれない人へ
あ~決められない。どうしたらいいの?

今日は「 自分の決断 」について書いてみます。

どうしたらいいですか?

意見を求める人がいます。「 どうしたらいいですか?」と。その深意を思います。聞いて選んで成功したらいいけれども失敗したら、うまくいかなかったらその責任は?その矛先は?

この生き方では先で詰まるということが落ち着いて考えたら容易に想像できるのに、そのような生き方をする人がいます。そのような生き方しか出来ないと言ったほうが良いかもしれません。わたしも大なり小なりそのような生き方をしていました。

この生き方のたちの悪い所は、上手くいってたらいいのです。「 やっぱりあの人に聞いてよかった~ 」と言うでしょう。あの人がお医者さんということも多いのではないでしょうか。。

でもですね、問題は上手くいかなかった時です。そのとき平気で周りに非を求めてしまうのです。

なぜなら、決定権が自分にないから。今の現状との因果関係に自分( の決断 )は含まれないのでしょう。そう思います。

よく言われます。「 こんな世の中( 私の境遇 )ではこう思って当然ですよね、ねぇ先生 」と。そのとき状況も鑑みてですが「 で、あなたはどうしたいの? 」とよく聞くようになりました。

誰の人生?

誰の人生かということです。

一般的に「 不遇な人生 」と言われるケースももちろんあると思います。でも「 誰の人生なの 」ってあえて言いたいです。当時のわたしにも言いたい。でも聞く耳持たなかったんだろうなぁと思います。「 お前に何が分かる 」と牙をむき出しにしていたかもしれません。

そのような生き方をしているわたしに、師は次のような言葉を下げてくれました。

あなたが決めたことを受け入れました

師の言葉

してもらったことしか出来ない|受け入れること|宗教家の書くブログ してもらったことしか出来ない|受け入れること

ただただ嬉しかったです。心の底から信用されていると感じました。自分の決断にこれっぽっちも自信が持てませんでしたので。。背中を押してもらった気分でした。「 行って来い 」「 やってみろ 」と。その中には「 ずっと見てるからね^^ 」という嫌じゃない安心感が含まれていて。

それからのわたしは生き方が変わりました。人のせいにしなくなった。社会のせいにしなくなった。すべて自分に返ってくる。やったらリアクションも返ってくる。やらなければ……。でも追い込まれているとも思わない。ほかにも師の言葉に支えられてのことではありますが、これが受け止めるということかと肌感覚で感じられました。

おわりに

わたし(宗教家取次者とりつぎしゃ )がやるべきことは受け止めるということです。教えを散布することではない。これも肌感覚でハッキリと分かりました。これ(受け止められた感)がないと人は一人で歩いて行かない、行けないと。

一人で歩いて行かないということは人を助けるということもしない( 出来ない )ということですから、それは布教でも何でもないのかなぁと感じています。

父の跡を継ぎ、教会長とならせていただいたわけですが、この辺りを早いうちに分からせていただけて本当に良かったです。早いもので一年半経ちますが迷いませんね。ありがたいことにいろいろな氏子が出入りされるようになり、「 助かり 」ということではまだ海の物とも山の物ともつかないわけですが、一日一日、せっせせっせと種を蒔いている感があるのでとても楽しいです。

「 自分の決断 」ということで、そのようなことを感じました。この想い、これも「 わたしの決断 」です。いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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