2016年5月8日日曜日

未だに疑問なこと|金光教の教会でお取次以外にしなければいけないものとは


こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。本日11時より教祖さまの月例祭げつれいさい、これまで5月に亡くなられた方々のみたま祭りと今月を誕生日を向かえる誕生祭を併せて仕えさせていただきました。


未だに疑問なこと|金光教の教会でお取次以外にしなければいけないものとは
人がよいのと神に信心しておかげを受けるのとは別物

月例祭での話です。わたしが当番でしたので話させていただきました。

内容は、「 おとなしい信者 」について、です。

大事にしている形とは?

まず、積み上げられた形というものがあります。

この教会も40年と、それこそ宗教界では歴史が浅いですが、40年も経てば何かしらの形が出来てきます。人が寄れば組織も出来ます。

形が出来るというのも自然な流れかと思いますが、その形に囚われてしまって元気がなくなってきているのも実際あるなぁと思うのです。というのもその形を維持するために疲弊していないだろうかということです。

わたしも二代目として、流れを受け継ぐものとして、いろいろな形にこだわり、今ある一つひとつの形にあらためて向き合いながら、どうしたもんかなぁというのを日々悶々と考えております。

その形を維持するために、何か大切なモノを失っているような気がしたからそう思うのだろうと思います。

これって、信者としては勝手にどうこうできないのですね。一応意見は聞くのですが、教会の思い(特に教師の思い)が強いわけです。アタリマエですが、切り盛りしているのが教会家族ですから。

で、本来、そういう形があって、その形に納得して入ってくる(入信する)こともありますし、もしくは入信後に少しずつ形を変えながら、でも決定する立場にないためにやむを得ずその形を受け入れてしまったりと、ケースはいろいろとありますが、その形を維持するために時間も労力もかかったりするものですから。

これが元気な心でハツラツと出来ていたら、別に言うことがないのですが、しかめっ面で、形を維持するための会議など、また、若い者へと、さもしなければいけないものであるかのように、そういうことを思うと、どうなんだろうなぁということを思うわけです。

そもそも金光教の教会でお取次以外にしなければいけないものがあるのかどうか、未だに疑問でもあります。お取次は取次者と参られくる氏子だけですから、組織もへったくれもないわけですね。

おかげをいただくなら○○教会

この話をするにあたって昔のエピソードを思い出しました。

わたしが生まれるもっともっと前のことです。言葉は悪いですが、信者がもっとあざとかったという話。

それは、お話を聞くなら□□教会おかげをいただくなら○○教会、と、使い分けていたのですね、信者が。東京地方は特にその色が濃かったと聞きます。

手続き上、在籍教会ざいせききょうかいというものが一人ひとりの信者にあって、たとえひっそりと数教会参っていたとしても、「 私の在籍教会は○○教会です 」というのが一般的です。

それは昔も変わらずにあったと思いますが、なんて言うんでしょうか、その在籍に留まると言いますか、留まらなければいけないと言いますか、おとなしいんですね。そういう信者が多くなったのではないかなぁと感じます。

むしろ私の在籍はここだから他へは行ってはいけないとまで思い込んでやいないだろうかとさえ思うのです。それが決まりだから、とかですね。

わたしの祖父は徳の高い教師だったそうです。わたしには一人のおじいちゃんでしかありませんでしたが……それはそれは多くの人の導きを担いおかげを授けみなから慕われていたそうです。

父から聞いた話ですが、ある氏子が、助かりたいがために、祖父が武蔵小杉でお話をするというのをどこかで聞きつけて、こっそりと他の人にバレないように話を聞きに来ていた、と。

なぜ隠れてまで話を聞きに祖父に会いに来てたのか。それは「 助かりたい 」からだと思うんですね。特別その信者に勇気があってそのような行動をとったのかもしれませんが、何でしょう、今の信者が今の在籍に気を使いすぎてはいないかなということを強く感じました。

昔から、あの人は正直者じゃ、神仏かみほとけのような人じゃという者でも、だんだん不幸なことが重なって、世間では、どういうものであろうというようなことがあろうが。なにほど、人に悪いことをせぬ正直者でも、人がよいのと神に信心しておかげを受けるのとは別物ぞ。

教祖さまのみ教え

おわりに

いろんな教会に行きなさいと推奨しているのではありませんよ、と最後に付け加え、話の締めとしては、氏子が助かるようにわたしも教師として精進させていただく所存ではありますが、遠慮は要らないですよ、と、それが伝えたかったんです、と言わせていただきました。

若造が偉そうに( 年配の方がほとんどでしたから )少し言い過ぎたかなぁと思いつつ、ポカンと聞いている信者たちの中、一人「 よく言った 」と言わんばかりに小さく拍手している信者もいて、少し救われました。

難儀苦しむ人が一人でも多くご神縁しんえんをいただき助かってもらいたいのがご神願しんがんです。そのことを切に願います。

おかげをいただくためには理解しておいた方がよいと思うこと|宗教家の書くブログ おかげをいただくためには理解しておいた方がよいと思うこと

月例祭でのおはなしについて書かせていただきました。いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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