2016年5月5日木曜日

「 あの苦しみがあったから… 」どうしてそう思えるようになったか、という話


こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。暖かいというより少し暑いぐらいでしょうか。陽の光、ありがたいです。


「 あの苦しみがあったから… 」どうしてそう思えるようになったか、という話
「 あの苦しみがあったから… 」そう思える日が来るように。

辛い、しんどい、誰でも嫌なものですよね。けれども最近それが人には必要なんだなぁと感じるようになりました。

それがないと進まない、進めない、進ませてくれないということ。

若い時の苦労は買ってでもしろ

若い時の苦労は買ってでもしろという言葉もありますが、これも本当にそうだなぁと思うようになりました。

以前は違いました。時代も変わったんだし、苦労しなくても、もっとほかのやり方があるのでは……と思っていましたから。

だけど、苦労してみないとそもそも気付かない自分がいるということに気付いたんですね。わたしにとって、これが大きな気付きでした。

難あってありがたし

そう考えると、今苦しんでいることって、大抵がおかげになるのですが、おかげにしていただけるのですが、最初のうちは繰り返すんです。

苦しんでおかげいただいて、苦しんでおかげいただいて、と繰り返していくと、自分が深まっていくというか、あとあと考えての話です。不思議な話ですが……。

本当に不思議と「 あ~、あの苦しみがあったからこそ、今こうして求めていけたのだし、教えてももらえたのだし 」と思うのです。思えるんですね。

金光教の昔の人は他人の難儀をうらやんだそうです。「 あ~今この人は難儀に苦しんでいるけれども、これでおかげいただけるのだから羨ましい 」と。普通に聞いたら相当な変わりもんですよ。

難儀( 辛く、苦しむこと )なんて誰もが御免こうむると思うのですが、わたしも今その気持ちが少しずつですが分かってきてるのです。

この難儀からどんなことを教えてもらえるのだろう、どんなおかげになるのだろうか、とかね。少しワクワクした気持ちにもなってます。実際は苦しいのですが。。

変人になれ。変人にならぬと信心はできぬ。変人というは、すぐ*ことぞ

直い*……真っすぐな意

教祖さまのみ教え

まさに変人ですね。常識とは縁遠い感覚です。

おわりに

難はみかげ難あってありがたしとも先人たちは言われました。確かに、と思います。

この部分を受け入れられるというのも、それはそれでおかげなのでしょうね。おかげをいただいているということです。

そう思えるのだって、わたしがお取次とりつぎをいただいてまるごとを受け止めてもらったから、徐々に、ホントに徐々に難はみかげとも思えるようになったのでしょうね。受け入れることについて以前書いた記事はこちら↓

なぜ受け入れられると他人を受け入れられるようになるのか|宗教家の書くブログ なぜ受け入れられると他人を受け入れられるようになるのか

難儀と人間との関係について書いてみました。いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


メールdeお取次
実際にお取次を受けてみる

BLOGRANKING
投票者になる
投票は1回/日 有効です.
応援ありがとうございます.


シェアしていただけると嬉しいです.