2016年4月2日土曜日

より大きな共同体の声を聴け|アドラー心理学『 嫌われる勇気 』を読んで


こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


より大きな共同体の声を聴け|アドラー心理学『 嫌われる勇気 』を読んで
より大きな共同体の声を聴け!

アドラー心理学『 嫌われる勇気 』( 岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社 )を読んで。

この本はアドラー心理学をもとに「 自由に幸せに生きるためにはどうすればいいのか 」について分かりやすく書かれていて、すごく共感できる要素がたくさん詰まってます。今日は、その中の「共同体感覚」について。

共同体感覚とは……

他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚といいます。

アドラー心理学『 嫌われる勇気 』より

で、この共同体についての説明がとてもオモシロク、共同体とは、現在生きている人・モノを越えて、宇宙全体に存在するものまでと説かれています。そこには時間軸においての過去から未来までも含まれる、と。

そして幸せに生きるためには共同体に属している「自分の居場所がある」という所属感が大切で、「 ここに居ていいんだ 」と感じることです。

さらに「 ここに居ていいんだ 」は、「行為」レベルではなく「存在」レベルであると。赤ん坊だろうが、それから何も出来ない老人であろうが。存在しているだけで誰かの役に立っている、という感覚です。それが貢献感であり所属感。

これさえあれば人は幸せに生きていけるというもの。

青年の反論!

(『 嫌われる勇気 』は哲学者である哲人と悩める青年の対話形式で物語が進んでいきますが…… )哲人の「 存在しているだけで誰かの役に立っている 」という言葉に主人公である青年は「 いったいどこの新興宗教ですか!」と言われました。宗教家としてこの辺りについて述べてみたいと思います。

このアドラー心理学はとことん、宗教と学問( ここでは心理学、哲学 )の垣根を取っ払うだけの力があるなぁと感じました。感じています。

それだけ共感できる部分が多いですね。

この共同体感覚に関しても、時間軸を越えてと言われたら、それは「御霊みたま」も入ってくるわけで。亡くなったご先祖様たちのことですね。

本来はそうだと思います。何か突然わたしたちはポッと生まれてきたわけでもなくて、生命の連鎖において、只今の今、存在しているだけであって、今までのこの流れを勝手に切る考えはどうなんだろうなぁと思うわけです。

それでも知らず知らずに切っています。信仰から離れていくのも、今までのことを考えなくなったからと思いますが。

神さまも今に始まったわけでもなくずーっと続いているわけですね。わたし→親→祖父母→曾祖父母→……→神さまと必ずや続いていくわけですから。でないと説明がつきません。わたしがここにいる意味も、理由も。わたしたちがどうやって存在しているかということです。

だから、今こそが大事!という考えの裏には、ご先祖様の存在は認めながらも今のわたしとは関係ない!と蔑ろにしているわたしたちがいるなぁと思いますね。

その部分を「 共同体感覚 」と表現され、それが分かりやすいなぁと思いました。作中には「より大きな共同体の声を聴け」と出てきます。学校でイジメにあっていたとしても、「 学校 」という共同体より大きな「 地球 」という共同体の声を聴け、という意味。

大概が学校より小さな共同体である「 家庭 」に閉じこもってしまうから問題が解決されないとも。たしかに、と感じました。

金光教は宗教ですから「 地球 」という共同体を超えて、「 神様( に生かされているわれわれ/モノも含んで )」という共同体になろうかと思います。まぁその中に地球が入るのでしょうけど。

そこまでの大きな共同体の声を聴けたら、大概の悩みは解消されます。あくまで腹から感じられたらのことですが。神さままでいってしまえば青年のいったいどこの新興宗教ですか!のとおりになってしまいますが、わたしとしてこれ( 神さまに生かされている共同体 )は揺るぎないことに思うのですがね、いかがでしょうか。

この本、何度読んでも気付きがあります。世界はシンプルと言いながらそれだけ難しいのかもしれません。難しく考えてしまう現代なのだなぁとも思いますね。

アドラー心理学は宗教なのか|そして哲学と宗教の違い、真理とは……|宗教家の書くブログ アドラー心理学は宗教なのか|そして哲学と宗教の違い、真理とは……

おわりに

信心ある人なら、より大きな共同体の声と言われてもすぐに連想できると思うのですが、信仰ない人だとどうなのでしょうね。

信仰のない人は、それこそ青年のリアクションのままいったいどこの新興宗教ですか!と、反論したくなる気持ちもすごくよく分かります。

シンプルでありながら奥が深いです、ホントに。

宗教家として、学問に飲み込まれてしまっては神様の存在が理屈っぽくなってしまうので気をつけたいところではありますが、ようは苦しんでいる人が神様を理解し助かっていくことが一番必要なことですから、勉強は怠らずに、出来る限りで伝えたいことが伝えられるように、幅はいつでも広げて行きたく思います。またアドラー心理学で感じるところがあればブログにて。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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