2016年4月7日木曜日

対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと|アドラー心理学『嫌われる勇気』を読んで


こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと|アドラー心理学『嫌われる勇気』を読んで
馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない

またまた、アドラー心理学『 嫌われる勇気 』を読んで。今日は「 課題の分離 」について、実際に生活に取り入れてみて感じたことを。

課題の分離|他者の課題

まずは、課題の分離とは……

哲人 わかりました。それでは、アドラー心理学の基本的なスタンスからお話ししておきます。たとえば目の前に「勉強する」という課題があったとき、アドラー心理学では「これは誰の課題なのか?」という観点から考えを進めていきます。

青年 誰の課題なのか?

哲人 子どもが勉強するのかしないのか。あるいは、友達と遊びに行くのか行かないのか。本来これは「子どもの課題」であって、親の課題ではありません。

青年 子どもがやるべきこと、ということですか?

哲人 端的にいえば、そうです。子どもの代わりに親が勉強しても意味がありませんよね?

青年 まあ、それはそうです。

哲人 勉強することは子どもの課題です。そこに対して親が「勉強しなさい」と命じるのは、他者の課題に対して、いわば土足で踏み込むような行為です。これでは衝突を避けることはできないでしょう。われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。

青年 分離して、どうするのです?

哲人 他者の課題には踏み込まない。それだけです。

青年 ……それだけ、ですか?

哲人 およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと――あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること――によって引き起こされます。課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。

第2回 他者の期待を満たすために生きてはいけない『 人生の悩みを吹き飛ばす「課題の分離」とは 』

「 課題の分離 」実践してみました。

最近の悩みの種は長女の歯磨きです。

歯磨きにとても苦戦してまして……遊ぶんですね。歯磨き自体を嫌がり、まずわたしの膝に寝てくれない。ようやくやろうと寝てくれても、歯ブラシを口に入れようとすると口を閉じて。

「 も~ 」とか「 早く 」とか言葉をかけると、それを聞いて娘は喜びます。完全にからかわれてますね。遊んでいるのでしょう。とにかく時間がかかってしかたがありません。

そしてだんだんと億劫になってくる自分もいて。こちらも常に平常心なら良いですが、心がザワツイているときにそれをやられると厳しく怒ってしまうときがあって。またそれでわたしが落ち込んで……。

ここで課題の分離です。

あなたが決めなさい!

「 あなたが決めなさい!」と娘に言うようになりました。歯磨きをするのも、それからしないのも。

歯磨きをせずに困るのは誰か……それはほかでもない娘なのだから。ただし、ほったらかしではありません。『 嫌われる勇気 』でも次のように言われています。

もちろんカウンセラーも、精いっぱいの援助はします。

ある国に「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」ということわざがあるそうですが、まさにアドラー心理学のカウンセリング、そして他者への援助全般もそういうスタンスだと考えてください。

第2回 他者の期待を満たすために生きてはいけない『 人生の悩みを吹き飛ばす「課題の分離」とは 』

だから援助はします。歯磨きをしないとどうなるか、虫歯になる可能性の話を。そして虫歯になったらどう感じるか、とても痛いということ。

わたしは虫歯で一晩眠れなかったことがあります。あまりの歯痛に。氷をなめていないと頭まで痛くなり。氷を舐めながら眠るのですが、いずれ氷が溶けまた痛みで起きる。そのような経験談も交えながら。

虫歯になるのも、虫歯になって痛くなるのも娘です。そのことを話をして聴かせるようにしました。

そして娘は一人ではまだしっかりと歯磨きが出来ませんから、してほしいなら「 お願いします 」と言いなさい、と。

どうなったか……。「 お願いします 」と言ってわたしの膝に寝そべり口を大きく開けるようになりました。

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おわりに

こういうことか、としみじみと課題の分離を体験させていただきました。もちろん神さまにお願いしながらのことではありますが、おかげでわたしの心もスッキリとしました。

まさに今までは、相手の課題に土足で踏み込んで、わたしが苦しくなっていたのでしょう。

これ、いろいろな場面で言えそうですね。もちろん信心をして欲しいと願う氏子さんとの関係でも。信心しないで困るのは誰の課題なのか……たった一代では語れないところもあるかもしれませんが、信心なくして難儀になることは目に見えています。けれども……知らず知らずに土足で踏み込んでいないだろうか。あらためて確認してみたいと思いました。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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