2016年3月17日木曜日

その接し方では受け止めてもらえてないと感じてしまう|ある対談記事を読んで


おはようございます。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


その接し方では受け止めてもらえてないと感じてしまう|ある対談記事を読んで
子どもも大人も、一人の人間として尊重するということ

ある対談記事を読んで、すごく共感しました。また自分の対応はどうなのかと考えさせられましたので、そのことについて。

受け止めてもらえてないと感じる

次の部分にすごく共感しました。

「 政治に意見が反映される人間は、全員大人でなければいけない 」という発想自体が、間違っていると思うんです。

子どもが子どもとして、未成年が未成年として、この社会が生きやすいかどうかを判断することに意味があるのに。だって子どもにしか言えませんよ。「 すみません、この社会のこういうところが、子どもとして超生きづらいんですけど 」みたいなことは。

「 投票するんだったら、お前大人になれよ 」っていうのは、未成年や子どもの領分が、この社会に無いってことだと思うんですね。それじゃ、いつまでたっても大人用の社会でしかない。

日本で子育てしにくいのは、子どもが「誰かの私物」だから──小島慶子×主夫・堀込泰三より

なぜ子どもの意見は尊重されないのか……大人の圧力がかかって考えさせてもらえない雰囲気も現実にあるのだなぁということを強く思います。

わたしはお取次いただく中で、師に魂で受け止めてもらう存在レベルで受け止めてもらうということをしていただいたのですが、このことは、先ほどの子どもの意見が反映されないということと密接な関係にあるのではと思いました。

わたしは受け止めてもらうことで助かったわけです。ということは、今まで受け止めてもらってなかったわけですね。少なくともそう感じていたということです。

だから生きづらかった。生きていても楽しくなかった。自分に何の価値があるのだろうとも思ったこともあります。

それもこれも周りの何気ない言葉、行動から受け止めてもらえてないと、感じていたからだと思うのです。

自分の存在価値を見出すため

これ、子どもに対してしばしば大人が取りがちな行動と同じだなぁと思うようになりました。

むしろ、子どもの頃から大人同様に一人の人間として心から尊重され意見が求められる環境にあったら、自分の存在価値に対しての考え方もここまでこじれることもないのにと思いました。

そういう努力を受け止めてもらってきたと感じる大人が( まずは親が )してきたら、結果は違うだろうなぁと思いました。

だから、大切なことは一人の人間として扱うということです。もっと言えば神さまの子として、誰もが。

子どもも大人も、一人の人間として尊重するということ。勝手な優劣をつけずに。一人ひとりのそのような努力で人が助かると思うのです。救われる命がいくつあるか……

以前、子どもといえども三歳になったら分かるだろうから、大人同様神さまの話をすると、師から聞いたことがあります。

どこまでも子ども扱いしないということです。実際はどうでしょうか?3つの子を前にして子ども扱いしてませんか?まだまだ言っても分からないだろう……と。

もちろん心配りは必要だと思います。知らない専門用語をまくし立てて神さまの話をするというのも違うと思いますから、3歳が理解しやすいような心配りをもって神さまの話をするということです。あくまでも一人の人間として、対等に、子ども扱いせず。

ここでの子ども扱いとは「 あなたにはまだ分からない 」と思い込んで「 まだ伝えない 」という判断のことです。その辺はわが子に対してもすごく注意して接しさせていただいています。

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それからもう一つ、年を重ねていく段階でもよく聞くのが「 お前も経験したら分かるよ 」とか「 そのうち分かるようになるから 」という類の言葉。「 子どもは黙ってなさい 」などもありましたね。

これにも悲しく思った経験が何度もありました。もちろん大人になるにつれ、いろいろと経験を重ねるにつれ本当にジワジワと分かるようになることもあると思いますが、「 そのうち分かるようになるから 」の言葉の裏には「 今のお前では分からない 」という意味も込められているのが、悲しくなる原因だと思っています。そして受け入れられていないとも感じる原因。

そういうものが積もり積もっていくと「 あ~わたしは受け入れられていないんだなぁ 」と感じるようになるのではと思いました。

おわりに

これらは最初から大人・子ども、それから能力の有る無しで、勝手に判断した結果、目の前の相手を一人の人間として接しない、先を見込んでのこともあるかもしれませんが現状で認めないという、その弊害なのかと感じました。

親子であれば特にです。

だからこそ受け止めるということが要るなぁとあらためて思いました。一人の人間として、神さまの尊い氏子として。

今からでも遅くありません。何か自分の存在価値を疑っている人がいたら、受け止めてもらう方法以外にないと思います。その方が、一人の人間、一人の子として受け止められたと感じるまで。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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