2016年3月11日金曜日

もしかしておジャマに|人間、してもらったことしか出来ません


こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。暖かくなりつつもまた少し寒くなりました。


もしかしておジャマに|人間、してもらったことしか出来ません
師から言葉いただき救われた~と思ったときの心は写真のような感じです。

人間として取次者とりつぎしゃ宗教家)として、神様と氏子さんの間に立つお役に、御用に日々使っていただいているわけではありますが、簡単ではないなぁということを日々感じています。

本当に落ち込みました

取次とりつぎ をさせていただく際に、まず自分の助かりが絶対的条件だと最近強く思います。本当にその事実があってよかったなぁと思う反面、それでもなお、お取次は簡単ではないなぁと感じます。

ある氏子さんのお届け、お取次を一通り終え、師に一連のことをお届けし、ここからのことをお願いさせていただきました。そのときです。お届けしながら、その氏子さんとのここまでのことを思い返すほど、もしかしてわたしはただジャマをしているのではないかと感じるときがあったのです。気付いたときはもう本当に落ち込みました。そのときの師の言葉です。

親も子もお育ていただきますように、ご祈念させて頂きます

師の言葉

共育

あ~共にお育ていただくんだ、とあらためて思わせていただきました。

わたしの中にどれだけ助けられた実際があっても、それは「 子 」として助けられた実際であって、「 親 」として助けられたこととはまた違うのだなぁと気付きました。

だからこそ、どれだけ実際の難儀に触れたかが大切になってきます。それはもうここからの話ですから未知数ですが。

でも一つ、ここでありがたいと思ったことは、自分に心が向いたことでした。他方( 氏子さん )に向かず自分に。

自分に改まりの心が向けばまた結果が違ってきます。他方であればあちらが改まるべきでこちらは……と、こちらがお育ていただくという気にすらなりませんから。

そう思うとありがたいなぁとは思えたですが、それでも「 もしかしてジャマを…… 」という正直申し訳ない気持ちでいっぱいになっていましたので、師の言葉にはここでも救われたなぁと思います。

おわりに

人間、してもらったことしか出来ません

お取次を通じて、魂の親子として、ここからも悩むでしょう、迷うでしょう。関係が深まるほど摩擦が生じお互いに苦しくなることもあるかもしれませんが、それでも「 今わたしに何が出来るのか 」ということだけをひたすらに考えていきたいと思います。

そして、神様のお繰り合わせをいただいて目の前に現れた氏子さんとともに、助かりの道( いただいた命のいただき方 )をお願いしながら模索していきたいと思います。

それが氏子さんにとってもしてもらったことになり、その氏子さんからまた新たな氏子さんへと派生するはずですから。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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