2016年3月3日木曜日

わたしの思う『 御霊観 』について……[ 金光教編 ]


こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


わたしの思う御霊観について[ 金光教 ]
魂は消滅することはない……と思います。

わたしの思う御霊観みたまかんについて書いてみたいと思います。

御霊様そのものが生きてくる

御霊みたまのまつりは大切にせよ

教祖さまのみ教え

と教えてくださっています。葬儀よりも何よりも「 御霊のまつり 」をということです。

なぜ「 御霊のまつり 」を大切にするのが良いことなのか……二つの側面があるように思います。

一つは、御霊様みたまさまそのものが生きてくるということ。

考えても見れば御霊様だっていつ亡くなったか分からないと思うのです。

これはわたしはたちが生まれてきたときを思い起こすと分かりやすいように思います。

「 ○月○日の○時○分○○g……俺は生まれてきたんだ 」「 ……私は生まれてきたの 」と自覚している人がいるのかどうかということです。

自覚して生まれてきた人などいないと思います。成長していく段階で、親から、兄弟から、誕生日のお祝いをしてもらい、それから母子手帳や、出生届けなどで確認することはあっても、最初の最初から自覚して生まれてくる人などいないと思うのです。アタリマエかもしれませんが。

で、これは亡くなるときも同じなのでは、と思うようになりました。

誕生日のお祝いと同じ、ということ

亡くなるというのは、ずーっと眠っているような状態でしょうから、亡くなった張本人もはたして寝てるのか、亡くなったのか、分からないのではないのかなぁと思うようになりました。これは実際亡くなったことがないので分かり得ないことかと思いますが……

人間は勝手なものである。いかなる知者も徳者も、生まれる時には日柄も何も言わずに出てきておりながら、途中ばかり日柄が良いの悪いのと言うて、死ぬる時には日柄も何も言わずに駆けっていぬる。

教祖さまのみ教え

葬儀の際、よくお話しすることがあります。

金光教でのお国替くにがえ(亡くなるの意)は、もちろん悲しいことではありますがお祝いでもある、とお話しします。なぜか。

お国替えは魂と肉体が分離することで、肉体は死ぬが魂( 分け御霊様わけみたまさま )は生き通しということを教えていただいているからです。

そして、御霊という存在になって、1年、2年、3年……と、それはまさにわたしたちが誕生日を祝うかのように、同じようにお祝いされることなのだなぁと思えるようになりました。

そして一方で、このお祝いがなかったり、それからどんどんどんどんなくなっていったりすると、忘れ去られているかのように御霊様だって元気がなくなってくるのではないかなぁと思うようになりました。

生きている人だって、どんな歳になっても周りからの関心をもって「 おめでとう、これからも元気で 」と言われたら元気が出るのではないでしょうか。中には「 いい歳して誕生日なんて…… 」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが。。それでも。

おわりに

だから御霊様も同じなのではと思うのです。そうして御霊様が生きてくるということを感じます。

もう一つとしては、御霊様のお働きで、わたしたちが助けてもらうということがあると思います。これは神様にすがることと同じようにです。

教祖さまは、ご先祖や親を大切にすれば繁盛させてくださるとも教えてくださっています。以上、わたしの思う御霊観について書いてみました。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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