2016年2月12日金曜日

【疑いの心について】疑い始めると何もかもが疑わしく思えてくるから不思議です


こんにちは。須賀院崇徳(@TSugain )です。


【疑いの心について】疑い始めると何もかもが疑わしく思えてくるから不思議です
疑い始めると何もかもが疑わしく思えてくるから不思議です

病気が治らない……そんなとき、お医者さんを疑ったことはありませんか。

疑い始めると……

病気になる。大抵はお医者さんにかかりますね。しかし、なかなか良くならなかったとします。よくあることです。そのときの心は……

病気を治してくれるところなのに……なんで?」いかがでしょうか。

それは疑いの入り口かと感じます。

ご信心も似たようなところがあると思うのです。

お参りされた人はおかげをいただきたいわけですから。そして実際にお願いをしてしばし待ちます。けれども一向に願ったとおりにならない……一向に。

そうして出てくる感情は「神様にお願いしたのに……なんで?」です。

そして次にこう思うのではないでしょうか。この神様は、この先生は大丈夫だろうかと……

ムクムクと疑いの心が出てくる。

わたし自身においても感じましたし、容易に想像出来ます。

心を直す神じゃ。

病治しの神ではない。心を直す神じゃ。

教祖さまのみ教え

心を直す神なのですね。「」すじゃなく「」すというところも大切なのでしょうね。

元々の状態に治すのではなく、あらためて直す( 入れ替えるようなイメージ )という意味かと思います。

けれどもお願いする方はいきなりと言われても分からないですし、早く病を治してくれ、それだけでしょうから、時間が要ります。

その間、願われる方が、願う方の揺れ動く心を意識して( ときに自分の心も )、グッと神様を信じていくことが要ると思います。でなければ願われる方もたちまち「 なんで?」となってしまうでしょうから。

それから、お医者さんにかかり「 この薬を使って様子を見ましょう 」という場面があるかと思いますが、お医者さんも「 治らないだろうけど……」などとは治療はしないはずです( そう信じています )

ご信心も同じこと。宗教家が願われる方の願いを聴き受けたとき「 この願いは成就しないだろうけど……」などとは決して思いません。少なくともわたしは。

しかし状況が変わらなければ変わらないほど、願う方としては疑いの心が出てくるのです。

この心も分からないでもないですし、仕方のないことかと思いますが、であるからこそ願われる方がしっかりと神様をつかんでいなければいけないなぁと日々思わされます。

おわりに

わたしも思い返せばそのように疑いの心を整えていただきながら今に至りました。お取次をいただきながらです。

自分の何もかも疑う心にビックリもしたこともありました。疑い始めたら、何もかもが疑わしく見えてくるのも不思議ですが実際の話しなのですね。

そんなときは、お取次をいただき心を直していただくことでおかげになります。経験してきたことです。

疑いの心について感じるところを書いてみました。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)




メールdeお取次
実際にお取次を受けてみる

BLOGRANKING
投票者になる
投票は1回/日 有効です.
応援ありがとうございます.


シェアしていただけると嬉しいです.