2016年2月26日金曜日

ある氏子さんとの数年前のやり取りから感じたこと、また数年経って今感じること


おはようございます。須賀院崇徳(@TSugain )です。穏やかな天気です。


ある氏子さんとの数年前のやり取りから感じたこと、また数年経って今感じること
ある氏子さんとの数年前のやり取りから感じたこと。今は……

なぜ生かされていると感じたら有り難いのでしょう。

そのような悩みを抱えられたある氏子さんとの数年前のやり取りから感じたこと、また数年経って今感じることを書いてみたいと思います。

何かの力が働いていて存在している

ある氏子さんからのメールです。差し支えない程度に……

自分が自分の力で生きているとは思っていません。何か分からないけど、自分ではない目に見えない何かの力が働いていて存在しているのは感じています。ただ何故、生かされていると感じたら有り難いのでしょう。望もうが、望まなくても生かされている、生きている。今、こうやって存在していることそのものが心から有り難いと思えれば、全てのことは解消されるとは思います。こうやって( ここに )おれることが嬉しいのだから。

毎日、形から入れば自然と有り難い気持ちが沸いてくる。それも分かります。何が起きても、思い分けや切り返してこうなって有り難かったと感じ、ポジティブに対処していく。そういう生き方をしたほうが、物事がよりよく回っていくことも知っています。でも、何故生かされていることが有り難いのでしょう。

ある氏子さんからのメール

わたしはこのメールに対して次のように返信しました。

そうですね。

( ※中略:相手への同意を示した後 )最終的には「 自分がどうしたいのか 」に尽きると私は思います。生まれてきたことを望んだのか望まなかったのかは、出発点が無自覚である以上、途中( 今 )だけ自覚するというのも難しいのでは……とも感じています。子が産まれてくるということに本能的に親が望みをかけるということも天地の道理( 宇宙の法則 )であります。こちら( 子 )が、思う以前にそのように( 親から )思われている世界を、ご信心によって教えていただけるかと思います。この辺りは○○さんはもうご存知のようですね。

ここからですが、その上で「 ( 子である )自分がどうしたいのか 」が重要であると感じています。どうしたいのか……どうありたいのか……このままでよいのなら何も言うことはありませんが、もし助かりと思っているのなら……「 ありがたい心 」を育てるしかありません。それが助かりの道と教えていただいておりますので。

わたしの返信

私の反省はハッキリ見えたが……

2年前( 2014年 )のある氏子さんとのやり取りです。

分かってるけど有り難いと思えない、ということかと思います。今なら何て返信するでしょうか。

今読み返しても、返信する内容はさほど変わらないようにも思いましたが、わたしの中で今と当時とでは「師をいただいた」ということが明らかに違うことかと思います。

だから、同じ内容でも相手の受け方も違ってくるのかなぁとそんな風にも少し思いました。これは何か言葉に出来ない、魂レベルのことかと理解しています。

これはこちら側の確信の有る無しです。親に受け止めてもらったという事実、体験。本能的な親の愛を。それを知った、今。これはとてつもなく大きなことに思います。

この氏子さんも、何も言葉を求めているのではなく、ただただ受け止めてもらったらおかげになるんだろうなぁということもご自身で「心から有り難いと思えれば、全てのことは解消される」とも仰られておられますし。

それは氏子さんの本能( 分け御霊様:魂 )で、すでに感じていたんだと思います。かえってこちらがそのことを知らなかったんだなぁ、気付いてあげられなかったんだなぁとも当時を振り返り正直申し訳なくも思いました。

けれども、言葉でコミュニケーションをするというのもなくてはならないことですから、この氏子さんがメールで訴えかけられたことも、もっと言えばそれを私が当時の私として受けるということも、神様の愛情であって、通るべき過程だったのかなぁと、今そのようにも思います。

そう思うと更に申し訳なくなるのですが……。

「 ありがたい心の育て方について 」はまた別で返信させていただきましたので、また別で書いてみたいと思いますが、今回このやり取りを読み返しさせていただいて、出発点が無自覚である以上、途中( 今 )だけ自覚するというのも難しいのでは……この辺りが道理を受け切れない、道理を飲み込めない、人間のエゴ( 我 )のようにもあらためて感じました。あらためて教えられました。

途中だけ意識するということが多くあるなぁということを、です。

人間は勝手なものである。いかなる知者も徳者も、生まれる時には日柄も何も言わずに出てきておりながら、途中ばかり日柄が良いの悪いのと言うて、死ぬる時には日柄も何も言わずに駆けっていぬる。

教祖さまのみ教え

おわりに

それ( 我 )もあって人間なのですが、苦しむ元になるなぁとも感じています。

この氏子さんの根っこからの助かりを今もなお、お願いさせていただいております。

一つひとついい加減にしないこと、これだけは肝に命じて。今日も遊ばせていただきます*^^*

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)




メールdeお取次
実際にお取次を受けてみる

BLOGRANKING
投票者になる
投票は1回/日 有効です.
応援ありがとうございます.


シェアしていただけると嬉しいです.