2016年2月27日土曜日

見返りありきの信仰|「 神様なんだろ、何とかしてみろよ 」


おはようございます。須賀院崇徳(@TSugain )です。川崎市只今の気温6℃です。晴れています。


見返りありきの信仰|「 神様なんだろ、何とかしてみろよ 」
「 神様なんだろ、何とかしてみろよ 」

条件付きの信心について書いてみたいと思います。大抵はコレですよね。

条件付きの信心

「 ○○ならば信じます 」条件付きの信心です。たとえば、病気が良くなるなら信じますよ。願いが叶うのなら信じますよ、というもの。

パッと聞けば「 そんなのアタリマエでしょ 」と思われる方もいらっしゃると思います。願いをきいてくれるから神様なんでしょ、願いを叶えてくれるから信仰なんでしょ、と。

わたしは金光教教師となって宗教家となって、何か違うなぁと感じ始めました。

そもそも神様への向かい方が違うのです。見方?捉えかた?

今までは……

今までですと、条件付きですから、条件が満たされなかったときに腹が立っていたのです。

嫌になっていました。

お恥ずかしい話、神様に「 神様なんだろ、何とかしてみろよ 」と喰ってかかったこともありました。自分が苦しくなってのことです。しかもこれ、金光教教師になってからのことでした。。

神様に暴言をひとしきり吐いたあと、虚しさだけが残りました。声も形もないのは確かなのですが、ただただ黙って静かに聴いてくださっている感覚を覚えました。

そもそも神様に対して……信心しているのに話しが違うじゃないかと、こう思うのがどうなのかなぁと思うのです。

一分一秒の命のおかげをいただいているのです。紛れも無く。頼んでないといえばそれまでですが、じゃあどうやって生きてんの、とも聞きたくなるまでに心落ち着いています。今は。

そうして事実、生かしていただいている。その神様に対して。話が違うじゃないか……と。

これは落ち着いて考えたらおかしなことを言っているなぁと思うようになりました。知らないだけということもありますが。

ただただ黙って静かに聴いてくださっている感覚を現していくことが要るなぁと思います。

現に当時のわたしのような氏子さんもいらっしゃいます。前にしているのが人間( 取次者とりつぎしゃ )ですから、体裁もありますし、そこまで暴言も吐けないようにも思いますが、吐きますね。吐いてくれています。

それがありがたくもあるのですが、聴かせていただている瞬間はしんどいです。そして氏子さんに対して「 ただただ可哀想だなぁ 」という気持ちが出てくるのです。

当時のわたしのそれのように、ひとしきり言われた氏子さんはほどなく落ち着かれます。そして謝られます。相手が人間ですからね。

けれども、それを「 いえいえ 」とは言わずに、その心もまた神様に取り次がせていただくようにしております。一連の心模様を。

「 神様なんだろ、何とかしてみろよ 」よくも言ったものだなぁとも今でも思いますが、それだけしんどかったんだろうと思います。

時期を同じくして後の師となる先生へもお取次いただいていましたが、まだまだ「 何とかしてみろよ 」までは当時として言えなかったです。

話を戻しますが、神様という信仰の対称となるものから私たちは一分一秒の命のおかげをいただいている存在だからと言って「 へへ~ 」と頭を下げて何も言えないような神様では、これもまた違うような気がします。

ここで教祖さまは神様のことを天地の親神様と説かれました。「」が付いているのです。

  • なんでも言える親
  • 困ったとき泣き縋れる親
  • 常に見守られている安心感を与えてくれる親
  • 信心しておかげを受けてくれよ

    教祖さまのみ教え

    おわりに

    今信心されている方で願いが叶わなければ話が違うじゃないか……と思われている方は、実際に何か願いを叶えてくれるからと付き合っているのでしょうか。

    そうではないように思います。切っても切れない関係。その親に条件無しでぶつかっていくと、結果、大きなおかげになるのです。

    条件付きで信じるということと疑うということの密接な関係|宗教家の書くブログ 条件付きで信じるということと疑うということの密接な関係

    こちらの心根が変わってくる、これは結果です。結果を追うと条件付きになるのかなぁと感じています。

    いかがでしょうか。

     この記事を書いた人
    須賀院崇徳(すがいんたかのり)




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