2016年2月23日火曜日

「 生きろ 」| 第41回金光教沖縄遺骨収集奉仕活動に参加して


おはようございます。須賀院崇徳(@TSugain )です。川崎市只今の気温7℃ですが寒く感じます。

『「金光教沖縄遺骨収取」沖縄戦収骨42年で幕 』としてヤフーニュースにも載っていました。



わたしも二年前に参加させていただきました。そのときの感想を書いてみます。

「 生きろ 」| 第41回金光教沖縄遺骨収集奉仕活動に参加して
今回の記事は以前教会記念誌に寄稿したものを加筆修正しました。下に写っているのがわたしです。現場監督以来のヘルメット。

第41回金光教沖縄遺骨収集奉仕活動に参加して

平成26年2月15・16日と第41回金光教沖縄遺骨収集奉仕活動に参加させていただきました。

前々から参加させていただきたいと願いつつ、今回ようやく参加させていただくことが出来ました。

現地に行く前に事前学習として『 報道ドラマ「生きろ」~戦場に残した伝言~ 』を見ました。とても衝撃的な作品でした。

島田叡(しまだあきら) という当時の沖縄県知事を中心とした沖縄戦前戦後を描いた作品です。

国民一人ひとりが「 お国のために…… 」と言っているその中で島田県知事は、沖縄県民に「生きろ」と伝え続けたのです。

戦争の愚かさは言うまでもないことですが、戦争中のその状況の中でお国に逆らいながらも一人ひとりの命を、未来を見据え「 生きろ 」と言い続けた人が実際にいたのだと、この作品に出会い、はじめて知り感動しました。

そして、実際の現地はどのような場所なんだろう、と興味が湧きました。

奉仕活動開始

そして迎えた初日ーー2月15日(土)

糸満市いとまんし摩文仁まぶにの沖縄平和記念公園内に、全国より100名あまりの参加者のための奉仕活動本部が構えられました。

開会式を終え各班に別れ、それぞれ捜索場所へと向かいました。わたしは一班( 初心者の班です。たしか後ろの班ほど難易度の高い場所が割り振られていたと記憶しています )、計18名にて行動しました。

摩文仁の丘の断崖向こうの裏側から回り込むように捜索しました。

まずは平地を探し各自の荷物、捜索用の道具類を置き、わたしはそこから海方向に下って捜索しました。( 道具類置場からは危なくない範囲で各自の勘で行動して良い決まりでした。お願いしながら掘る場所を次々に決めました。お昼もこの場所で食べました。空を見上げながら、みな口数が少なかったように思います )

捜索中、先ほどの作品の映像が浮かびます。上部に大きな岩がある岩陰から実際に遺留品( 日用品・医療器具など )が出てくると、上空を飛ぶアメリカ機がイメージされ、「 あ~、ここに避難してたんだな 」「 食べるものはあったのかな 」「 とても怖かっただろうな 」としみじみ感慨深い気持ちになりました。

二日目ーー2月16日(月)

午前中は奉仕活動の一環として、他宗教の方々が例年行っているゴミ収集活動に参加させていただきました。

しっかりとした長靴を履いていたわたしは、最前線のゴミが溜まっているごう の中に。

何度も経験されている方から「 怪我( 切り傷 )には気をつけてな。怪我をしたらそこからすぐに菌が入り込んで大変なことになるから 」と言われました。

壕の中は、泥・空き瓶・空き缶・ビニール袋などが入り混じり、それらが層になっている状態でした。

掘れども掘れども、瓶・缶・袋・泥の繰り返しです。作業開始後すぐに、空き瓶、空き缶の割れ口・切り口で手や足を切ってしまっては……と、身の危険を感じ、あまり無理はしないようにと思いながらも、周りの作業スピードが早くて早くて、必死についていこうとしていました。

( 上から吊るされたバケツに瓶・缶・泥を詰め込み満杯になる前に上げてもらいます。満杯になるとあげられなくなるので。降りてきたバケツにゴミを積み上げる、ひたすらその繰り返しでした。バケツは10数個あったと思います。地上ではその引き上げたゴミをゴミ収集車の車まで運ぶためバケツリレーが行われていたそうです。道が狭く壕までトラック車が入ってこれないため )

作業を終えて、本当に怪我なく終えられたことがありがたいことでした。無我夢中でしたから。

午後は昨日に引き続いて、海岸線の同じ場所を捜索させていただきました。少しずつ掘る場所は変えて。

おわりに

二日間の捜索結果は、完全一体と呼ぶべきご遺骨、細かなご遺骨、不発弾・数々の遺留品でした。

完全一体と呼ぶべきご遺骨が出たことから、まだまだこの地にご遺骨が埋まっているということを想像させる結果となりました。

※わたしはといえば、以前に取りこぼしたであろう「 耳 」の骨を拾骨、ほか遺留品を発見させていただきました。( 人骨かどうかを判断する人が各隊にいました。よーく見ないと動物の骨と区別がつかないこともあるそうです )

今回捜索場所になった海岸線は、40年前にも一度創作していた場所でした。それでもなお完全一体と呼ぶべきご遺骨が今回出たのです。

人間のやることですから限界があるとはいえ、40年来誰にも発見されることなく埋もれていたご遺骨を前に、また御霊様みたまさまに対して、何か複雑な気持ちになりました。

それにしても戦争の愚かさだけは今回の経験から更に強く感じることになりました。

この度、43回を持って「 金光教沖縄遺骨収集奉仕活動 」としては幕が閉じられたわけですが、興味のある方は一度現地に行かれると良いかと思います。その前には何か映像を見ていくことをお勧めします。現地でしか感じられないことも確かにあると思いますので。以上です。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)




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