2016年2月25日木曜日

出来るだけ言語化してあげると関係性が深まる|取次者と氏子 ひいては神様と氏子との関係のこと


おはようございます。須賀院崇徳(@TSugain )です。川崎市只今の気温4℃です。八王子では雪が積もっているようです。


出来るだけ言語化してあげると関係性が深まる|取次者と氏子との関係ひいては神様と氏子との関係のこと
疑うという心が、別の世界を生み出してしまいます。見えるものも、聞こえることも違ってくる。疑いの世界……

神様と取次者とりつぎしゃ宗教家)と氏子との関係について、気付かせていただいたことを書いてみます。

神様とは?

わたしも取次者になってようやく「 神様とは何ぞや?」と自問自答する生活( 生き方 )になったわけですが。

正直なところ未だに分かったようで分からないところが多々ありまして、そのような中、師に出会えたことがなによりの財産だなぁと思うのですが。

先日師よりこのようなことを教えてもらいました。

出来るだけ言語化してあげると関係性が深まる( 取次者と氏子との……ひいては神様と氏子との関係 )

師の言葉

非言語の中で「 出来るだけ言語化 」という努力が要る

この言葉をいただいたとき、あらためて「 うわ~ 」と思いました。

これも分かったようで分かってない部分もあると思います。ですが只今の理解を書いてみます。神様というのは姿形もなく声も聞こえません。

神は声もなし、形も見えず、疑わば限りなし。

教祖さまのみ教え

教祖さまのみ教えのとおり、見えないですから、聞こえないですから、信じるか信じないかの話なのですが、信じさせてあげたいというのが取次者の切実なる気持ちです。

で、このときに神様はいよいよのところ分からないけれども信じてほしい、というのもとても正直な一つのアプローチとしてあると思うのですが、出来るだけ言語化してあげるという努力が必要なのだなとあらためて思ったことでした。

「 お願いしていけば助かるから 」の類は非言語の領域だと思います。氏子が納得するしない以前の話ですから。

それでも藁にもすがる人や背中を押してもらいたい人からしたら、とても心強いこととも思います。

一方ですんなり信じられない人がいる。これはわたしも含め間違いなくいると思います。そして割合的にはこちらの方が多いように感じます。宗教毛嫌いの時代のこともありますでしょうし……

イメージ先行だったり、めぐりの働きによって信じることを許さない。どれだけ周りから良いと言われても、親がそれ( 信心 )をしていたとしても、いよいよ分かってるんだけど信じられない。そういうとき( 時期 )があるように思います。

わたし自身にも十分にありました。これだけ疑り深いんだなぁと自分でも驚いたことですが。

ここでその疑っている相手との関係性を深めたい場合には出来るだけ言語化してあげる努力が必要なのだなぁと思いました。

「 神様のおかげはこうだ 」と奇跡的な事例を伝えることも一つ( これも本当のことですから )。それとは別に出来るだけ神様のことを、特に人間のことを言語化してあげて氏子に理解させてあげる働きが要る。

そのためには知ることが要る。いよいよは神様のことですが、そのまえに人間のこと、人間の性といいますか「 そうだなぁ 」と納得に値すること、そのことを知ることが要るのだなぁとあらためて思いました。

もともと持ちわせている「 分かる心 」との関係性にもさらに興味が湧いてきました。ーー分かる心(神心)を持ち合わせているお互い

おわりに

難儀な氏子が助かってもらうために、そのためには神様を信じてもらわなければ助からないのですが、そのやり方( 引き出し )は多ければ多いほうがいいということも気付かせていただきました。

こうじゃなきゃいけない、ということはなく。けれども何でもいいというのでもなく。

命の流れを乱すことなく、氏子とともに神様の流れに添うために、出来るだけ言語化してあげることも要る、ということについて書いてみました。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)




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