2016年1月21日木曜日

誰もに決定権があるようで実はないのかもしれません


おはようございます。須賀院崇徳(@TSugain )です。


誰もに決定権があるようで実はないのかもしれません
オムツを変えてもらったことがない人などいませんよね。

毎日、毎日、意識的にも無意識的にも、選択・決定と繰り返しながら生きているのではないでしょうか。

繰り返される選択と決定

ご飯は何を食べようとか、洋服は何を着ようとか。

また、仕事でももちろん選択・決定を繰り返しながら物事を進めているのですが。

しかし、いつだって選択できる、どんな状況であろうとも決定できる、と今強く思ったとしても、人間の一生を考えると、決定できるかどうかも常にとは限らないものです。

育てられて今があるという事実を忘れている

考えてみても、生まれてから物心がつくまで、それこそお世話になっている事実がありますね。

それこそ、オムツを替えてもらったりだとか、そういう時期を経て今があるのですから。。

そう考えると、何だって選択・決定ができるというのは、ただ 「 現在 」のことを言っているだけであって、いつ何時誰かのお世話になるかもしれないのが本当のところだと思います。

教祖さまは、

すべて、神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは何か。死んでもままよのことぞ。

教祖さまのみ教え

と、教えてくださっています。

おわりに

とても難しいことかもしれません。すべてを神様に委ねるということ……

今、選べているようであって、実際は神様に選ばせてもらっているのが本当のところではないでしょうか。

不安かもしれませんが、私(我)を委ねたあとは( ←これも決定でしょうか )、親が子を抱くがごとく神様に暖かく包まれるような、そんな安心感を得られるのではないかと思うのです。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)




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