2016年1月6日水曜日

助けられたあとの生き甲斐を失う怖さについて


こんばんは。すっかり夜になってしまいました。須賀院崇徳(@TSugain )です。今日も命をいただきました。


助けられたあとの生き甲斐を失う怖さについて

あらためて「 受け入れられる 」ということの大切さを感じています。

誰もが「分かる心」を持っている。

神様と、そしてこの世に生きているたった一人の人間に、自分をそのまま、本当にそのまま受け入れられたら「 分かる心 」が発動するのです。

「 分かる心 」とは神様から分けていただいた『 分け御霊わけみたま 』、魂のことです。持ってない人間などいません。「 魂を売る 」などよく言われますが、魂無くして人は生きられませんから……

このことが分かっただけでも大きな違いです。分かるというのも、頭で分かることに加えて体験して納得して了承して、「 分け御霊様がご納得される 」と表現した方が分かりやすいかもしれません。

腑に落ちる、得心するも同意かと思います。そのような経験をさせていただいております。

その「 たった一人 」の人間になるべく、この命を使ってくださいと日々、神様にお願いさせていただいております。これが私の使命です。そう思えるようになりました。

心が違えば……

この変わらない気持ちも、変わらないことがありがたいです。もはや私が変える変えないというよりも、「 分け御霊 」様の領域ですから、どうこうできる問題でもないように今は感じておりますが、油断は禁物です。

自戒のため教祖さまのみ教えを……

此方といえども心が違えば、いつお暇が出るかも知れない

教祖さまのみ教え

「 お暇 」とは神様から「 ご苦労さん、もういいよ 」と言われるようなものです。つまり使命を失う、と理解しています。生き甲斐を失うわけですから、考えただけでも辛いです。

油断なきよう、ここまでのお繰り合わせ、神様のおかげにお礼申し、ここからのことをお願いさせていただきたく思います。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)




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