2016年1月15日金曜日

なぜ受け入れられると他人を受け入れられるようになるのか


こんにちは。須賀院崇徳(@TSugain )です。今日も命をいただきました^_^ありがたいですね。


なぜ受け入れられると他人を受け入れられるようになるのか
受け入れられるとスッキリとしますね。心が軽くなります。

なぜ受け入れられると他人を受け入れられるようになるのかについて書いてみたいと思います。どうしてもニガテな人がいる、この子を受け入れたいけど受け入れられない、というあなたに読んでいただきたいです。

これまでのわたしの生き方

私は金光教の教師になるまでは人の好き嫌いが激しい性格でした。そしてそれで良いと思っていました。

みなに好かれるのは不可能と早々に悟り、たとえ仲違いしたとしても「 これでイイ 」と自らを納得させていたのだろうと思います。

ちょっとでも嫌なことがあると見切っていたのです。「 この人はダメだ 」「 この人とは合わない 」と。

そんな生き方をしているとどんどんどんどんしんどくなっていくのですよね。事実しんどくなっておりました。

そんな私が、今から7年前になりますが縁あって師と出会うことになり、お取次とりつぎというものを実際に受けました。なぜ見ず知らずの師のお取次を受けるまでにいたったかといえば、学院がくいん( 金光教学院:金光教教師養成機関 )在学中、学院は全寮制なのですが当時の同室の人( 師の弟子です )に誘われたのがきっかけでした。

当時の私としては特に自分では悩みはなかったと思っていたのです。人に言うほどの悩みはなかったということです。しいていえば、これから先金光教の教師となった後のことを案じておりましたが、今思えば自分のふかいふかい、根っこの難儀に気付いてなかっただけなのでした。そうしてお取次の実際に触れることになりました。

お取次をいただくこととそうでないこと

このお取次ですが、決まった形があるわけではなく、( 取次者の )心と( 氏子さんの )心の掛け合いが主ですから、やれと言われて出来るものでもありませんし、流れのようなものが確実にあるのだと感じています。

私の例で言えば、先ほど同室の人に誘われたのが一つの流れです。誘われたけれどもここで私は「 イヤ、いいです 」と断ることも出来たのです。ですが、断らなかった。特段悩みがあったわけではなかったのにです。

師の書かれた本はその前に少し読んでいましたので、師に対しての興味が少しはあったのかもしれませんが、それでも断ることは出来たのに断らなかった。これも一つの流れですね。

そうして流れに乗るようになると神様が良いようにしてくださると言いますか、もちろん取次者が誰でも良いとは思いませんし、取次者だけでもどうにもならないところがあるとも感じます。

流れに乗るということは一言で言えば「 素直であれ 」ということです。

たとえば、流れに乗っているかのように見えても「 ( 身近な )人に言われたから…… 」「 行ってくれと頼まれたから…… 」と自らが行った理由を腹の底では他に委ねていたとしたら、これは素直ではありませんね。

この場合二言目には言い訳が出てきます。「 せっかく時間作って行ったのに…… 」など。( 思うようなおかげをいただいた場合は別です。けれどそのときは喜ぶでしょうが長くは続きません )

自らの決断で行くというところに、そして自分が決めたと思い切れたとき、はじめて流れに乗ったという実際があると思っています。そして流れを感じながら受け( 待ち )続ける取次者と、流れに乗った氏子さんとが相まってはじめて『 取次 』が生まれると思っています。

神縁しんえんまことに不思議にして今この道にで会うを得たり

教祖さまのみ教え

そして私は事実、受け入れてもらったのです。まるごと。ふかいふかい、根っこにある難儀な部分を、どうしようもない部分をです。

まさか30歳を過ぎて人前で本気で泣くとは思っていませんでしたが、お結界けっかい( お取次をいただくところ )では何度となく泣きました。

イメージとしては身体の中の膿みが涙と共に出ていくような具合です。ですからお取次いただいたあとはいつだってスッキリしていました。

なぜ受け入れられると他人を受け入れられるようになるのかは、ここにあると思います。自分がスッキリするということ。でなければ自分のことだけで手一杯で他人のことを思い続けるなど出来ないと思っています。

たとえいっときは心配そうに思えたとしても、一生涯思い続けることなど出来ないと思います。一生涯思い続けることが受け入れるということです。受け止めるということです。そう感じます。

最後に

お取次をいただき、私の心の中にあったコップの中にたまった水をすくいだしてくださったかのようでした。それで私の心も楽になり、「 じゃあ次は私が…… 」と思えるようになったのだろうと思います。

世の中にはいろいろな人がおりますので、このことを聞いても賛否両論もちろんあるかと思いますが、私はそんなには人間変わらないのではと確信めいた想いを持っています。

育て直しという言葉も師より教えていただきました。まさに育て直されたのです。難儀いっぱいで苦しんでいた私はまさに育て直されたのだろうと思います。( 実際は自分が難儀だとは感じていなかったですがそれほど喜びもありませんでしたから←ここが難儀ですね^^; )

いかがでしょうか。

※追記:実際、文章にしてみると驚くほどカルトの入信始め( よく聞く体験談 )と似ておりますが、やはりカルトはこの先がダメなのでしょうね。先導者( トップ含む )が我が欲のために金品を搾取するかどうかだと感じます。信じるというのはどこか怖いものということを強く感じます。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)




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