2015年12月26日土曜日

あのときの言葉が私の想いを確かなものにしてくれました


こんにちは。宗教家の須賀院崇徳(@TSugain )です。


あのときの言葉が私の想いを確かなものにしてくれました
何か見下ろしているようで気持ち悪いんですけど……

椅子式のお結界

結界けっかい、膝が痛む氏子さんが久しぶりにお参りになられました。この方には思い入れがあるのです。

というのも、金光教ではお結界けっかいと呼ばれる場所がありますが、そのお結界での話です。

外してはならない事がある|金光教のお結界という場所|宗教家の書くブログ 外してはならない事がある|金光教のお結界という場所

しばらく前から武蔵小杉教会のお結界は椅子式のものに変わりました。取次者も椅子に座り、参られた氏子さんも椅子に座ってお届けされるスタイルです。

初代である父は、布教当初は正座のお結界でした。そんなに広い場所もなく物理的な理由もありましたが、それが、氏子の高齢化に伴い、また自身( 父 )も足が痛むことなどから、お結界が椅子式へと変わっていったのです。わたしはお結界が椅子に変わってから金光教の教師になりました。

教師になってしばらくは椅子のお結界に座らせていただいておりました。「 これではいけない 」というのが正直な感想でした。

椅子ですから、「 修行 」にならないのです。なる人もいるのかもしれませんが、わたしには感じられませんでした。痛みもありませんから。苦痛でもないのです。よくお結界で眠ってしまっておりました。やはり「 これではいけない 」との想いだけが強くなっていきました。

一つじゃなくていいんだ

「 ただ座っているだけ 」そう感じるようになってほどなく、師のお広前へと縁あって参拝することになりました。そこで見た光景が衝撃的だったのです。お結界が3つあったのです。

「 お結界って、一つじゃなくて良いんだ 」と。

師のお広前では、参られる氏子が多いことと、一人に対してのお取次をじっくりさせていただくという想いから、お結界を次第次第に増やされたのだと聞きましたが、わたしは衝撃を受けたのです。

そうして教会に戻ってからすぐ、ホームセンターで座机ざづくえと半畳の畳を買い求め、簡易的なお結界を椅子式のお結界の対面に作りました( 御霊前側に )。そしてそこへ座るようになったのです。

で、座り始めてすぐにお参りされたのが、冒頭の膝が痛む氏子でした。新しく据えた座のお結界。自分は意気揚々と座ったもののお参りされる氏子の、特に足が悪い方のことは考慮できておらず、非常に座面の高い通常の椅子に座ってもらいお取次をさせていただきました。そのとき氏子に次のように言われました......

何か見下みおろしているようで気持ち悪いんですけど……」と。

見事に正座しているわたしが氏子に見下ろされる形になったのです。

座り始めてすぐ( 設置して2週間ぐらい )のことでしたので、ショックを隠しきれず、氏子に対して、特に足の悪い方に対してわたしが座ることで迷惑なことをしているのではないかと思ってしまいました。

父に相談しました。返ってきたのは「 それぐらいで迷うようなら、もうヤメたら 」という言葉でした。「 いや 」と思い返し、それからも座り続けました。

そして数年が経ち昨年の12月1日より、代替わりとともに椅子式のお結界を完全になくし座のスタイルに変えさせていただき、後に取次者が座る場所には分厚い畳もいれていただき、足の悪い氏子には遠慮せずに椅子に座っていただくのですが、座面の低い椅子も特別に用意させていただけました。

あのときの言葉が私の想いを確かなものにしてくれました
足の悪い方用の椅子。 不二貿易 らくらくスツール

これで氏子が椅子に座っても目線が合うようになりました。こうして日々お取次させていただけております。

おわりに

あのとき氏子に言われたことを気にして座することをヤメていたら、今はなかったのだなぁと、お参りされた膝が痛む氏子の顔を見て思い出させていただきました。

大げさに聞こえるかもしれませんが、わたしの想いを確かなものとしてくれた方として、お礼申し上げさせていただきました。いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)

*twitterでも毎日1回はつぶやいてます。


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