2015年12月17日木曜日

宗教|カルトについて考えてみました


こんにちは。須賀院崇徳(@TSugain )です。


宗教|カルトについて考えてみました

カルトとは

私が思う「 カルト 」について書いてみようと思います。

神様、神様と毎日言っている宗教家として、常に意識していることです。今でもよく考えます。

まずは意味を調べると……

カルト(仏: culte、英: cult)は、悪しき集団であることを明確にするために用いられる通俗用語である[1]。良い意味ではなく[2]、反社会的な団体を指す世俗的な異常めいたイメージがほぼ定着し[3]、犯罪行為を犯すような反社会的な集団を指して使用される[4][5]。元来は、「 儀礼・祭祀 」の意味を表す否定的・批判的なニュアンスを持たない宗教用語であった。

ウィキペディア(Wikipedia)

元来の意味は「 儀式・祭祀 」を現す「 宗教用語 」であった……とあります。

ここから、私のイメージですが、基本、メディアから受けるイメージが強いです。

困っている人に対して、「 この神様を信じたら助かりますよ 」と言って近づいて、信じこませ、言いなりにし、最終的には金品を吸い上げる、ようなイメージです。

被害者の体験談を実際に聞いて私の中でカルトとイメージする宗教団体はいくつかありますが……みなさんはいかがでしょうか。

① この神様を信じたら助かりますよ

ここで……「 この神様を信じたら助かりますよ 」というのは金光教教師としての私の中でも大きくあるのです。教祖様も、

信心せよ。信心とはわが心が神に向かうのを信心というのじゃ。

教祖様のみ教え 御理解 第二十一節

とまずは信心すること、神様を信じることを教えてくださっていますし。

ここまでは一緒です。次です。

② 金品を吸い上げる

「 金品を吸い上げる 」ところです。ここにどうやら問題があると理解しております。

金光教でも神さまのお供えはあります。お供えされる方も多くいらっしゃいます。助けていただいたその「 御礼に 」。

もちろん「 御礼にお供えするのですよ 」など、大々的には言っておりませんし、献金もありませんし、入会金も、会費も決められてはいません。誰もが信心出来る、と教祖様は教えてくださっています。けれどもです。

端から見て、当人が助けていただいたとそう感じた「 御礼に 」気持ちよくお供えしていたとしても、たとえば家族や近しい人にはどのように映るのか、ということも日々意識しております。

③ 心

そして一番大切なのが「 心 」です。人間は「 心 」で動いているものですから。心を奪われてしまったら、正常な判断が出来なくなってしまいます。

「 洗脳 」や「 マインドコントロール 」も、カルトとはセットとして考えられますね。

洗脳されてしまったら……マインドコントロールされてしまったら……正常な判断が出来ませんから、結局は金品を吸い上げられてしまったり、メディアでも多く取り上げられております。

実際に、当事者として経験したことはありませんが、被害者の声は聞いたことがあります。想像を絶する体験をされ、とても辛かったと申されておりました。辛かったと思う時点で、助かってないことになるのですが。

けれども信心する過程(神様を信じていく過程)では、金光教でも「 辛い 」ということが出てくるのです。

「 めぐりのお取り払い 」と教えられておりますが、イメージで言うと『 胸に突き刺さった杭を抜くにも、そのままでは抜けないので、一度えぐるように穴を大きくしてから抜く 』そのときのえぐる痛みが「 辛い 」と感じるのです。

この辺りも主観、当人がどう感じるかですから、何とも難しい部分ではあるのですが……

④ 条件付きでは難しい

最後に、いつも教えられていることですが、「 条件付き 」では信心にならない、と。

「 信じ抜く 」「 信じきる 」というのも、『 おかげがあるから信じる 』では、なかなか難しいと思うのです。思うのですが、まずは信じなければ始まらないところがあります。

その部分を説明しようとすると、どうにも私の中では「 カルトのイメージ 」が浮かんできます。

納得せぬまま信じるということに、どのように接していくかということです。

私もすんなり神様を信じられたわけではありません。疑いもしました。けれども信じることが出来ました。信じようと思えることが出来ました。

それには、「 助かって欲しい 」と願われる神様、その神様を現す取次者とりつぎしゃに、ずーっと向き合っていただいたからだと思いますが、この辺りも言葉にすると非常に怪しく聞こえたりもしますね^^;

結局は自分がどう感じるかでしょうが、自分に関わる人(親・恋人・友人……)の判断、助言もとても大切なものだと思っています。でもいよいよのいよいよは自分です。

だからこそ納得してくれたらそれはそれでありがたいですし、ぜひ「 神様を信じたい 」と納得できるようにと一宗教家一取次者として毎日お願いしておるところです。

まとめ

結論として、金品を吸い上げる……ということは金光教では間違いなくないですので、その部分は自信をもって、胸をはって言えることですが、こと「 心 」の部分はいつだってデリケートで、相手がどのようにイメージしているかということも、十分にこちら側が意識していないといけないのではと、日々そのように感じております。

まぁ、時間をかけてのことですので、ゆっくりと一つひとつ、相手様の分け御霊様(魂)に認めていただけるように、祈り、願い、接していけたらと感じております。

このことを考えるときいつも、師の言葉、

信じるというのはどこか怖いものです

師の教え

を思い出します。信仰というのは、やっぱりどこかで怖いのでしょう。

裏切られたら……私が信じたものが間違っていたら……など。。けれども、信じさせてあげたい、という気持ちです。お願いさせていただきます。

カルトについて日頃感じていることを書きました。

いかがでしょうか。


 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)




メールdeお取次
実際にお取次を受けてみる

BLOGRANKING
投票者になる
投票は1回/日 有効です.
応援ありがとうございます.


シェアしていただけると嬉しいです.