2015年12月13日日曜日

自らが創りだす「喜べない心」


おはようございます。須賀院崇徳(@TSugain )です。昨日は早々に休ませていただき、体調も良くなりました。ありがたいです。


自らが創りだす「喜べない心」

何事も体が元なり

身体が資本です。つくづく感じます。

何を言っても、元気でなければなりません。「元」ですね。分かってはいるつもりなのですが、「若いから」と多少の無理を重ねてしまうのも、いつも体調を崩してからあらためて思わされます。




命をいただくということも、日々文言として想い口にし、意識させていただくように稽古させていただいております。

「目覚める」なんて以前は意識していませんでしたから。。起きてあたり前。起きてからのことだけに意識している自分でありました。

けれど目覚めなかったら「死」です。何も始まりません。始められません。

命があるということ、命をいただいたということ、目覚め「させて」いただいたということがあるのです。ここからも意識させていただきたく思います。



お稽古の意味

なぜそのような稽古をするかといえば、おかげがいただけるからといえばそうなのですが、何より「謙虚」になれるからかと実感しております。

先にも書きましたが、起きてあたり前、起きてから先のことが問題であり、目覚め「させて」いただいたなど、なかなか思えませんでした......

けれども、その「させていただいた」がないとですね、当然朝一番にいただくおかげのお礼がありませんから、目の前の悩みや苦しみに囚われやすくなってしまうように思うのです。

それは結局は命をいただいていることに対して「傲慢」だからかと思います。



そこに神様がいる

そこに神様がいらっしゃるのです。

命をいただいている、という紛れも無い事実の中に。その部分に傲慢であれば、神様に対しても傲慢であるのと同意なのでしょう。礼も無くご無礼者です^^;

知らずにやるのは仕方がありませんが、知ったからには......というところがあるかと思います。



自らが創りだす「喜べない心」

本当に「おかげは和賀心にあり」だなぁと思わされます。おかげは外にあるのでなく、内にある。いろいろなことがありますが、それをどう捉えていくか。結局はわが心がどう捉えるか、どう捉えさせていただけるか、そこにかかっているのだなぁと思うのです。

体調が悪くなること一つだって、不平不満を言えばそれまでですが、その中にも様々なお繰り合わせがあり、様々なお働きがあり、周りの方々の協力もそうです。傲慢であれば、気付きにくくなり、結果、「喜べない心」になってくる。何事も「わが心」がどう感じるか、どう捉えるかで、違ってくるのです。

いよいよそこだなぁと思わされております。


今日も新たに命をいただきました。目覚めのおかげをいただきました。神様ありがとうございます。

どうぞ今日も一日元気に御用させていただけますよう、お願いさせていただきます。

いかがでしょうか。


 この記事を書いた人
須賀院崇徳(すがいんたかのり)




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