2015年11月19日木曜日

平凡な人も 非凡な人もみな

必要な修行というものがある
そのことを最近思います。

平凡な人も 非凡な人もみな

教祖さまは...


昔から、
人もよかれわれもよかれ、
人よりわれがなおよかれというておるが、
神信心をしても、
わが身の上のおかげを受けて、
後に人を助けてやれ。
神信心も手習いも同じこと。
一段一段進んでゆくのじゃ。
にわかに先生にはなれぬぞ。

と教えられており
現教主様からも
にわかに先生にはなれぬぞ。
日々が修行である。
おいおいわかってくるだろう。
神をおそれるな。
おそれるとおかげはなし。
近づくようにせよ。

とお言葉いただいたこともありました。

人が成長していく段階で
外せない「必要な修行」というものがある
そのように師より教えていただいております。
実体験を通しますから
「これか」
と気付けるわけです。

み教えだけですと
「そんなものかなぁ」と
ぼんやりしてしまいますが...

「必要な修行」とは
大抵が辛いこと。
辛いことですが、
その中を通らせていただくほかない
と今は少しづつですが
感じられるようになりました。

一段飛びにはいけない。

スピードの早い今の時代からすると
死語のようにも感じますが、
「一つひとつ」
ということです。
これは時代が移り変わろうが
なす人が変わろうが、
平凡な人も
非凡な人もみな
変わらないことだと
今は感じております。

一つひとつ丁寧に。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
 須賀院崇徳(すがいんたかのり)


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