2015年11月21日土曜日

どうしたの?

「分かってもらえている」
という感覚

どうしたの?

「分かってもらえている」
という感覚は
とても大きいなぁと
あらためて感じております。

逆に...


「分かってもらえてない」
という感覚は
とても辛いです。

よく、
いよいよのいよいよは本人でないと分からない
と言われますが、
本当のところはそうなのかもしれませんが
感覚です。

分かってもらえている
という感覚。

その感覚があれば、
安心感が生まれるのです。

前に進もうという気になる。

全て気持ちですから、
ホントかウソか
という話でもあります。
そう「感じる」というところです。

でも、
「感じる」というのが
やっぱりどうしても
生きていく上でとても大きな役割を示すと
思うのです。

たとえば嫌な人がいて
「嫌だなぁ」と「感じる」と
もうすでに
本当のところさえ見えなくなり
いただいている命さえ
喜べなくなってしまうと
思うのです。

よくある話です。



私は取次者(とりつぎしゃ)というお役をいただいております。
毎日毎日
誰にも「分かってもらえていない」
「誰も私に関心がない」
「こんな私なんか...」と「感じる」方が
教会にお参りされるわけですが、
その方々に
少しでも
「分かってもらえている」と「感じて」もらえるように
相手に関心を示し、
「神様どうぞ分からせてください」
とお願いしている次第です。

本当に
人間(生き物全般かもしれません)というのは不思議なものです。
そう思います。


どうしたの?
と一言だけ返してあげたらよい。
何に苦しいのか
関心を示すこと。
自分に関心がないと...
死ぬのは、
孤独で死ぬのです
ひとりぼっちでね
尋ねてあげないとならない。

そのように教えていただいております。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
 須賀院崇徳(すがいんたかのり)


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