2015年10月12日月曜日

光に向かって分からないまま抱えていく時期も

考え過ぎると分からなくなることがあります。
よくあります。

光に向かって分からないまま抱えていく時期も

情報も求めればキリがありません。

「本当」のことを求めて
追求し続けて
結局のところ分からなくなってしまうことがあります。



信心は話を聞くだけが能でない、我心からも練り出すがよい
と教祖さまは教えてくださっております。

答えも
求めたくなり
聞いてしまう方が早い、と
思う時がありますが、
今は分からないかもしれないけれども
お願いしていく中に
分かるようになることだって
あるということです。
実際あると思います。
なければ願い続けていく
祈り続けていく、という行為自体の
意味を見いだせなくなってしまうとも
思います。
必ずあるのです。
そうとして、
分からない現状では
分からないまま抱えていくということになります。

以前にも書きましたが、
分からないまま抱えていく
そう言われて「待てる」というのも
おかげなのでしょう。

けれども
必ず先に光ありきで
抱えていくということが大切ですね。
ずーっと暗闇でしたら
抱えていく元気もなくなるものです。
先に光が見える
もう少し、と
そのような想いで
抱えていきたいですし、
私は取次者として
お参りされた方がそう思えるように
神様にお願いし続けていきたいと思っています。
光を見せてあげられるように。

一つ一つにお繰り合わせをいただいていかねばなりません。
神様と共に、です。

いかがでしょうか。

 この記事を書いた人
 須賀院 崇徳




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